読書人の雑誌『本』より
2014年08月16日(土) 苧阪満里子

『もの忘れの脳科学』著・苧阪満里子---もの忘れと「こころの黒板」

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もの忘れの脳科学』著:苧阪満里子
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「同窓会の開始時間を尋ねようと友人に電話をしたのに、肝心の時間を聞き忘れた」といったことは、多くの人が経験していると思う。「同窓会の開始時間」を尋ねようと思っていたのに、同級生が転職することを聞いてその話に注意がそれ、時間の確認を忘れてしまったのだ。

なぜ肝心の用件を、忘れてしまったのだろう。これは、私たちが行動をするまでの間だけ憶えておかなければならない記憶がうまくはたらかないために起こったのである。

記憶というと、子供の頃にいった海水浴や運動会で起きたことなど過去にあったことを憶えておくものと考えがちではないだろうか。また、歴史の年代や、英語のつづりを憶えた試験勉強が頭をよぎる人が多いと思う。しかし、そうではない記憶があることも分かっている。記憶はこれから始める行動にも必要なのだ。

ワーキングメモリ(working memory)は、現在進行形の目標のために必要な情報を心の中に保持しておく脳の機能だ。ワーキングメモリは、「同窓会の時間を尋ねる」という目標を成功させるために必要な情報を書きとめておく、いわば「こころの黒板」である。

未来の行動を正しく方向づけるためにワーキングメモリは必要であり、これがうまくはたらかなくなると、未来の行動が目標どおりにすすまなくなってしまう。「同窓会の開始時間を尋ねる」ことは、友人と話をしている中で驚くようなことがあっても、憶えておかなければならない。これを実行するのがワーキングメモリであり、私たちの日常において「こころの黒板」として、学習や思考などの認知機能を支える重要な役割を担っているのである。

このたび、講談社のブルーバックスから『もの忘れの脳科学』を上梓した。そこでは、ワーキングメモリとは何か、そのはたらきをもとに「もの忘れ」について紹介している。

近年、高齢化社会において、高齢者の記憶の障害に多くの人たちから関心が向けられている。高齢になっても心身ともに健康でありたいと願うのは、高齢期に差し掛かった人たちだけでなく、まだ若い世代の人たちも同様だろう。加齢により認知障害を持つようになった例は新聞やテレビで多く報道されている。また、高齢者を介護する立場の人たちが増えていることも背景にあるのだろう。

加齢により増加する認知障害の中でも、特に重要視されているのが認知症だ。これには、アルツハイマー型や、血管性などその原因によって多くの症例があることが知られているが、その前駆症状はこの本の中で紹介する「もの忘れ」に特徴づけられる。

では、冒頭の「同窓会の時間を聞き忘れる」はどうだろう。このようなことは、高齢者だけでなく、誰にでも思い当たるのではないだろうか。

著者が高齢者にもの忘れの経験についてアンケートを実施した時に、その比較対象として大学生にも同じアンケートに回答してもらった。すると、多くの大学生が、先の例のような用件の聞き忘れだけでなく、たとえば、ガスの消し忘れなど、様々な「もの忘れ」を経験していることがわかった。そしてその頻度は、高齢者に劣らない程であったのだ。

このように、「もの忘れ」は、高齢者に多くみられる特徴というわけではなく、認知症の兆しであるとも限らないのである。

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