「流浪のストライカーの勲章」元日本代表・福田健二
4ヵ国7チームを渡り歩いた男が、来季6年ぶりにJリーグに復帰する
並んだユニフォームは在籍したチームのもの。来季は「エリエール」と書かれたみかん色のシャツをまとう
〔PHOTO〕眞野 公一(以下同)

「メキシコでファンに、『ゴールできない助っ人は失格だ。家に火をつけてやる』と脅された時は怖くなりました。移籍以来ノーゴールだったとはいえ、まだ開幕から3試合目ですよ! ホームゲームでも罵声が容赦ない。ボールを触るたびに『出ていけ』の大合唱が起こった時は、さすがにヘコみましたね」

 彼は笑って振り返った。だが4節から4試合連続得点を決め、"罵声"を"歓声"に変えたのはいい思い出だ。

「僕がゴールを決めると、見知らぬおじさんやおばさんまで親しげに声を掛けてきて、"あなたのおかげでとても幸せよ"と心の底から喜んでくれる。最高の気分ですよ。一人の日本人サッカー選手として胸を張れる生き方をしているなと」

 福田健二は現在、32歳になるサッカー選手である。'96年、Jリーグの名古屋グランパスエイトで高校3年にしてプロデビューを果たし、いきなりゴールを決めた。空中戦に強い天性のゴールゲッターとして、名古屋の後はFC東京、ベガルタ仙台で活躍。年代別代表を経て、'02年日韓W杯ではトルシエ監督率いる日本代表候補にも選ばれるなど、順調なキャリアを送っていた。

 しかし’04年1月、彼は給料を10分の1に下げて海を渡る決心をする。

「当時のJリーグは恵まれ過ぎ。"こんな大金をもらっていいのか"という疑問が常に頭にあった」と彼は告白する。

「中学の頃、ブラジルから来た交換留学生が『プロになって両親に家を買いたい』と話していて、当時の僕はすごく共感したんです。でも、Jリーグでは所属クラブでレギュラーになるとマンネリになりがち。サッカーは世界のスポーツだし、海の向こうのいろんな選手たちと戦ってみたかった。逆境を乗り越えてでも挑戦する人生にしたかったんです」

 福田は、パラグアイを皮切りに、メキシコ、スペイン、ギリシャと4ヵ国を渡り歩き、グアラニ、パチューカ、ヌマンシア、イオニコスなど計7チームで’09年夏までプレーした。4ヵ国はいずれも’10 年南アW杯に出場するサッカー強豪国。欧州王者スペインの「リーガ・エスパニョーラ」はメッシ、C・ロナウドらスターが居並ぶ世界最高峰のリーグであり、同じ舞台で戦った敵や朋友も少なくない。

「たとえ言葉が通じなくても、ボール一つで人の心を動かせる、その感覚がたまらない」

  福田が国外でプレーする魅力を語る。

「海外では負けたら何も残らない。シビアな世界ですよ。でも、自分がゴールして勝てば未来が見える。周りの選手もそのつもりで、ハングリーな環境から成り上がろうとしている。綺麗に勝てる世界じゃないから、ボロカスに言われても最後に勝てばいいんです」

 海外での冒険譚には事欠かない。