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東京新聞の市川隆太記者が14日、脳出血で亡くなった。54歳だった。10日午後、勤務先の中日新聞北陸本社(金沢市・彼は2年前から同本社報道部長を務めていた)を早退し、タクシーで自宅に帰り着いたところで倒れ、病院に運ばれたが、手遅れだった。

読者は彼の名をご存じないだろうが、'06年の共謀罪導入に反対するキャンペーンを展開し、同年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞を受賞した記者である。
もし、あのとき東京新聞特報部のキャンペーンがなかったら、法案は国会を通過していた。私たちが今、犯罪を実行せずとも相談しただけで罪になる共謀罪の恐怖に怯えずに済むのは、市川さんのおかげと言っても過言ではない。

私は、彼が時折見せた、はにかむ少年のような笑みが忘れられない。つねに自分の内面を見つめ、記者として特権的立場にいること自体を申し訳なく思う。そんなタイプの希有な記者だった。彼の原稿を改めて読み返したら、飾り気のない人柄が彷彿として胸が詰まった。

これは青春時代の回想である。

<いわゆる何か一つのことに打ち込むことの無い、非常に散漫な大学生活を送っていました。プロゴルファーになろうという妄想を抱いてゴルフ部に入ったり、医学部を受け直そうと仮面浪人したりするけれどどれも長続きしない>

漠然とした焦りはあるが、だらけた毎日。家賃を3分の1払って友達2人の部屋に入り浸り麻雀して・・・・・・。大学を出てテレビ局に入り、次いで経済紙の記者になった。

当時はまだ珍しかったワープロ翻訳ソフトについてIT企業を取材したときのことだ。人の良さそうな赤ら顔の社長が茶封筒を突きだした。「はい、これ」。中は万札だった。30枚ぐらい。

「こ、困ります」「そう言わずに。ね」「会社の内規で禁止ですから。バレたらクビです。堪忍してください」と、彼は平身低頭した。
「黙ってりゃ平気なのに」と言って社長は不承不承引っ込めた。

<殺人現場を見てしまった少年みたいに、僕は階段を駆けおりた。(略)先輩記者の苦しげな表情が蘇った。「企業も役所も、俺たちをブンヤと思っちゃいない。広告、書かしてるつもりなんだぜ」。僕は路上の空き缶を蹴っ飛ばした><記者って、魂を売り払えば、一瞬で地獄行きの切符を手にできる、本当に怖い仕事だ>

そんな苦い経験をしたせいか。彼は東京新聞記者に転じ、数年後に検察担当を命じられた。

当時の東京地検特捜部は矢継ぎ早に事件を摘発していた。東京佐川急便事件('92年)。金丸前自民党副総裁の巨額脱税事件('93年)。ゼネコン汚職事件(同)。社会部記者にとって正念場である。

やがて彼は特ダネ記者として頭角を現す。私が彼を知ったのはそのころだ。私もかつて共同通信の検察担当だった関係で、旧知の検察幹部に「若いけど優秀な記者だから」と紹介された。

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