読書人の雑誌『本』
『産む、産まない、産めない』著・甘糟りり子---三つの選択と八つの物語
産む、産まない、産めない』著:甘糟りり子 税抜価格:1500円 ⇒Amazonはこちら

物語を書いていると、いつの間にか登場人物たちが自分の中に住み着いている。場所でいうと、なんとなく胸の辺り。そこで彼ら彼女らが暮らすのだ。そう、大家さんみたいな感覚。人生の大家さんになった気持ち、といったらいいだろうか。

物語を書き終えたとたん、みんなすっと出ていってしまう。その度に、寂しさと、それより少しだけ小さな安堵を感じる。あんなに密に係っていたのにずいぶんあっさりだなあと思うと同時に、もう振り回されずに済むとも思う。まるで大恋愛みたいだ。

親御さんではなくあくまでも大家さんなので(まずい。オヤジギャグになってしまった・・・・・・)、道しるべを立てたり手助けをしたりなんかはせず、ただそこに暮らしてもらうだけ。私は慎重に距離感を計りながら、それを眺めている。感じている、というほうが正しいかもしれない。

住人たちは、自分であって自分でない。そんな距離感なのだ。ちなみに、家賃はもらいません。

「登場人物はすべて自分の分身であるように」

五冊目の小説を刊行した頃、ある編集者にそうアドバイスをされた。物語を書く上で、自分の大家さん感覚はちょっと他人行儀なのかなあと心配になった。登場人物は分身であって知らない誰か。どうしても、この距離感は譲れない。

物語はもちろん、エッセイもコラムも、第三者が読むであろう「文章」を書く場合、客観的であることがとても大切だと思っている。だから、住人たちに感情移入し過ぎないよう、気を配る。悲しくても泣かないし、何か幸せな出来事があっても小躍りしたりしないし(あんまり、しないか・・・・・・)、エロティックな場面でも興奮したりしない。いつだったか、同業の男性が、セックス・シーンを書く度にその気になって困ると半ば自慢気味にいっていて、驚いたことがある。

けれど、今回ばかりは泣いてしまった。

産む、産まない、産めない』を書いている時だ。同著は妊娠や出産をテーマにした短編集で、妊娠や出産どころか結婚さえも経験のない私には、少々勇気が要る仕事だった。不安を口にすると、編集者が文字通り山のような量の資料を用意してくれた。それを何度も読んだり見たりしてプロットを作り、原稿を書いている最中も、お守りのように資料を横に置いた。気になることがあると、すぐ資料を開いた。

短編集の一編『温かい水』は、死産と向き合う夫婦の物語だ。資料は、医学的なもの、経験者のインタビューなど多岐にわたっている。インタビューの文面の横に、双子の男の子を死産した母親が息が途絶えた我が子たちにお乳を与えているモノクロの写真があった。サイズが小さいので、母親の表情ははっきりとはわからないけれど、泣き笑いしているように私には思えた。