「自分の人生を知りたければ「自分史」を書きなさい!」---知の巨人・立花隆がすべてのシニア世代にささげる『自分史の書き方』

「これからの人生(セカンドステージ)のデザインになにより必要なのは、自分のこれまでの人生(ファーストステージ)をしっかりと見つめ直すことである。そのために最良の方法は、自分史を書くことである」。(『自分史の書き方』より)

熟年層や就活生を中心に昨今ひそかなブームとなりつつある「自分史」。自分の人生を知る最良の方法でもあるこの自分史の書き方のノウハウを、「知の巨人」立花隆氏が一冊の本にまとめたのが、その名もズバリの『自分史の書き方』(講談社刊)である。その一部をご紹介していきたい。


              * * *

「立花隆の自分史倶楽部」では、立花隆氏の著書『自分史の書き方』を参考にして「自分史」を書いた方の投稿を募集しています。
「自分史」の投稿募集要項はこちら

はじめに 自分史を書くということ

自分史の書き方』 著:立花隆
税抜価格:1600円 ⇒Amazonはこちら

本書は、立教大学に2008年に生まれた、シニア世代向けの独特のコース(入学資格50歳以上)、『立教セカンドステージ大学(RSSC)』で開講した「現代史の中の自分史」という授業の実践の記録である。

これは「自分史の書き方」の講義だが、単なる講義ではない。講義で話したことをそのまま実践させる、つまり「自分史を実際に書かせる」ことを主目的とする授業だった。この記録は、随所に学生たちが実際に書いた「自分史」を実例として挿入した。読めばわかるが、これがみんなたいへん面白い。

はじめからそれだけの書き手がそろっていたというわけではない。はじめはハシにもボウにもかからぬような作品が大部分だった。それがみんなあっという間に腕を上げていったのである。

はじめ、この授業をどのように展開するつもりだったか、受講生に事前に配付した「シラバス(授業内容紹介)」には、次のように書いておいた。

これは実践的な授業である。目標は、各自が、自分史を書き上げることに置く。
それも単なるプライベートな身辺雑記的自分史ではなく、同時代史の流れの中に、自分を置いて見る、「自分史+同時代史」としたい。

セカンドステージのデザインになにより必要なのは、自分のファーストステージをしっかりと見つめ直すことである(*)。そのために最良の方法は、自分史を書くことだ。

どの程度の自分史とするか。目標は日本経済新聞の「私の履歴書」あたりに置く。「私の履歴書」は1日およそ400字原稿用紙3枚から3・5枚が30回続き、全部で、100枚程度で終わる。この程度の自分史は、正しい手順に従って少しずつ書いていけば誰でも書ける。

その手順を教える。代表的な「私の履歴書」の構造分析から始める。次に各自の自分史年表と同時代史年表を書く。
この授業では、各自がそれまでに書いてきたものを、相互に読み合い、批評し合うことを随時行うから、恥ずかしいなどの理由でそれができない者は、はじめからこの授業をとらないこと。

*印を付けたくだりは、立教セカンドステージ大学の基本コンセプトをふまえて書かれた文章だから、それについて一言しておく。

開講当時、一般社会のリタイア年齢(定年→年金生活)は、60歳だった。しかし、日本人の平均寿命が男性79歳、女性86歳まで延びている現在、60歳はリタイア年齢としてちょっと早すぎる。むしろ、60歳は人生の中間地点ぐらいに考え、「そこから、人生のセカンドステージがスタートする再出発地点だと考えるべきだ」、というのが、このコースの発想の原点だった。

だが再出発してどこに向かうべきなのか。いま自分たちの未来にはどんな可能性が横たわっているのか。日本は、世界は、これからどうなっていくのか。そして、自分たちはいま何をなすべきなのか。

このような「中間再出発地点」に立ったときに、なすべきことは、「過去(自分と社会の両面。日本と世界の両面)を総括する中締めと、いま自分たちが立っている地点を再確認すること」ではないか。そして「未来の可能性を展望すること」ではないか。

そのために必要なのは、じっくり考えることと学び直すことだ。そのような学びに最適の場は大学だ。そこには人生の学び直しのためのあらゆるインフラ(講座、教師、学び仲間、学び舎)がそろっている。こういう発想に立って開講されたのが「セカンドステージ大学」だった。

だから、コースの重要な一環として、「自分史を書かせる授業があるべきだろう」ということになった。自分史を書かせる講座が作られ、わたしがそれを担当することになった。

現代史の中に自分の人生を重ねる

ここで、授業のタイトルになぜ「現代史の中の」という枕詞が付いていたのかについて一言しておく。

それはこれから書こうとしている自分史を、単なる、自分という人間の「メーキング・オブ」にせず、自分が生きた時代がどういう時代であったのかを意識しつつ書いてもらいたい、と思ったということである。

「自分という人間」と、「自分が生きた時代」というものが不即不離の関係にあるということをなにかにつけて意識してもらいたいということだ。

といって、それはあくまで「そういう意識をもて」ということであって、自分史の中に時代論的な要素をなにか具体的に入れるよう指導したということではない。
自分史とは自分の歴史をふり返ることに他ならないが、そのとき、具体的な同時代史を手がかりにするといいんだよ、という程度の示唆でもあった。

人間の記憶は連想記憶方式になっているから、ちょっとでも手がかりがあると記憶はすぐによみがえってくる。最良の手がかりは、そのときどきに起きた大きな社会的事件である。東京オリンピックのとき、自分はどこでどうしていたとか、田中角栄逮捕のニュースはどこで聞いたとか、オウムの地下鉄サリン事件のときはどこにいたといった、それぞれの時代の耳目を聳動せしめた大事件を手がかりにすると、誰でもいろんな記憶を呼びさますことができる。そこで、受講生に、自分史を書く上で最初にさせた作業は、「自分史年表」を書くことだった。その年表には必ず時代背景を別枠で入れさせた(これについてはあとで詳しく書く)。

その他に授業の中で「現代史の中の」という要素をどう入れていったかというと、まず自分の生きてきた時代の概略を知ってもらうために、最初の授業で現代日本史の概論をババッと一挙語りした。その頃わたしは、ちょうど『天皇と東大――大日本帝国の生と死』という日本の近現代史全体をながめ直す長大な作品を7年がかりで書き終えたばかりのところだった。この本は、なぜ日本があのような戦争をはじめ、ついには事実上国を滅ぼすようなところまでいってしまったのかというところに焦点をあてて書いた本である。ところが団塊の世代が主流をなす受講生たちの大部分が、そのあたりのことにほとんど無知だということが開講してすぐにわかった(学校教育では、そのあたりがポカンと抜けていたし、実人生においても、戦後生まれが多い受講生には、戦争時代のことを具体的に知る機会がなかった人が多かった)。そこで、授業の中でそのあたりのことを意識的に言及するようにした。

また毎回、受講生の書いたものを講評していく中でも、歴史的時代背景にまつわる話を折にふれては入れていった。

「現代史の中の」のほうは、やったといってもその程度のことであるから、あくまで副次的目的にすぎない。主目的はあくまで自分史を書くことである。ただ世代的に、受講生の中心は団塊の世代であったから、「現代史の中の」的な要素が、自然に各人の個人史の中に出てきた。団塊の世代が生まれたのは、戦争直後であっても、多くの人が肉親の中に戦争犠牲者をかかえていたし、何人かは、本人が戦争遺児(父親が出征前に遺した子供。父親はそのまま戦争で死んだ)だった。広島で、母親の胎内で被爆したという人も一人いた。団塊の世代はいわゆる戦無派ではあるが、親の体験をとおして、戦争を身近なものとして感じとっていた世代でもあった。

それに団塊の世代は、同時に全共闘世代だったということもあり、何人かはあの時代の政治闘争の経験者であり、それだけに現代史にひとかたならぬ興味をもっていた。また団塊の世代は、高度成長期日本の実質的支え手でもあった。子供のときは貧しい国家の貧しい国民の一人だったが、日本の経済が急速に勃興するにつれて、生活がどんどん豊かになり、日本はアッという間にアメリカに次ぐ経済大国になった。経済的にアメリカを脅かす存在になり、貿易摩擦問題が頻発するようにもなった。そういう中で、かなり多くの人が海外で活動するようになったりもした。自分史がそのあたりに及ぶようになると、受講生たちの自分史を読んでいくだけで、高度成長期日本の経済的発展史の集団記録を読まされているような思いにもさせられた。それはそれで大変面白い経験だった。

前期・後期制の大学の授業というのは、一学期が基本的に13回で構成される。13回の授業で、ひととおり、自分史を書かせようと考えた。一学期で、自分史を書きあげてしまうというのは、そうたやすいことではないが、しかるべく指導すれば、できると思った。完成はしないまでも、基本的筋道はつけられると思った。

自分史を書くということが、そもそもどういうことで、どのような手順でどう書いていけばいいのかを指導するところまでいけばいいと思った。子供に最初に自転車に乗ることを教えるとき、はじめの頃こそ、よろよろバタンに付き合って、何度も手を出して助けてやることが必要だろうが、そのうちなんとか一人立ちできるようになる。やがてもう手を放しても大丈夫というところまでいく。それと同じだろうと思った。そのあたりを指導上の着地点として、あとの仕上げは各人にまかせることにすればいいだろうと思った。

一学期終えるときに、受講生たちの自分史がズラリとならぶところまでいけば、嬉しいと思った。

で、どうだったかというと、できたのである。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら