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[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
福田正博(サッカー解説者)<後編>「もう一度、しびれる世界で勝負したい」

2014年07月25日(金) スポーツコミュニケーションズ

世界で一番悲しいⅤゴール

二宮: 福田さんと言えば、1999年シーズン(同年、Jリーグは初めて2部制を導入)の“世界で一番悲しいVゴール”が語り草です。福田さんがゴールを決めた時には、既に最終節で浦和レッズのJ2降格が決定していました。つまり、いくらゴールを決めたところで、J1残留の可能性はなかったわけです。当時を振り返ってみて、どんな思いを抱きますか?
福田: 実力のあるメンバーが揃っていても、チームの歯車が狂うと勝てないというサッカーの怖さを知りましたね。特にシーズン終盤は「残留しなくてはいけない」というプレッシャーによって、僕も含めて選手たちは思うようにプレーできませんでした。また、前回の話と重なる部分はありますが、チーム全体が失敗を恐れていたんです。たとえば、僕がボールを受けて顔を上げると、パスコースがない時もありました。

二宮: 周囲の選手はミスをしたくないから、ボールを欲しがらない。つまり、プレーの責任を取りたくないと?
福田: 失敗を恐れると、無意識にそうなっていく選手が多いんです。責任感が強ければ強いほどプレッシャーを受けます。ですから、チーム構成を考えるのは難しいと思います。責任感がある選手ばかりを起用すれば、チーム全体にプレッシャーがかかって本来のサッカーができなくなりますからね。責任感のある選手、失敗しても引きずらない図太い選手のバランスが重要です。

二宮: 組織は責任感が強過ぎるものが集まりすぎると、逆にそれがプレッシャーになり、機能しないこともあると? 皮肉な現象ですね。
福田: 僕自身もどちらかというと、責任感が強いほうだと思っています。ですから、99年も残留争いをする中で、知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていたのではないか……。

二宮: 浦和は最終節のサンフレッチェ広島戦で、90分間で勝利すれば、他会場の結果に関わらずに残留できる条件でした。しかし、そんな大一番でチーム最多の12ゴールを挙げていた福田さんはベンチスタート。これには驚きました。
福田: チームメートにとっても驚きだったようです。試合前にスタメンが発表されて、移動するためにバスに乗り込むと、先に乗っていたチキ・ベギリスタインに「フクダ、ケガをしているのか? なんで先発メンバーじゃないんだ?」と質問されて、僕は「いや、ケガはしていない」と返しました。彼から「このチームで一番点を取っているのはオマエだろう。誰が点を取って勝つんだ?」と言われたのは忘れられないですね。

二宮: 当時の監督はシーズン途中で就任したア・デモス。何か意図があったのでしょうか。
福田: 広島の守備陣にはオーストラリア人の長身でフィジカルも強い選手がいました。監督は「フィジカルが強い選手に福田は向いていない」という判断をしたのではないでしょうか。僕自身はかなりショックを受けましたね。しかも、出番が回ってきたのは後半36分で、僕の前に2人のFWが投入されていました。監督の選択肢の中で僕は最後ということだったんです。ピッチに立った時は、チームを残留に導きたいという思いと、「なんでオレは信頼されていないんだ」という複雑な思いが混ざり合っていました。このチームを引っ張ってきたという自負もありましたから……。

二宮: それでも、プロフェッショナルとしてプレーに徹しなければならない……。
福田: もう、必死にプレーしました。しかし、後半が終了した時点で、他会場の結果から浦和が降格することが決まってしまいました。その後の延長戦は、とにかく試合を終わらせたいという気持ちだけでしたね。

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