読書人の雑誌『本』
【『小田実全集』完結記念 特別対談】ドナルド・キーン(日本文学研究者・コロンビア大学名誉教授)×玄順恵(水墨画家・作家)---世界の不正に向き合った文学者

小田実の歿後七年を迎えた今年五月、電子書籍・オンデマンド版『小田実全集』(講談社)が完結した。これを記念し、全集の監修者であるドナルド・キーン氏と夫人で画家の玄順恵氏が、「戦争」という小田実とキーン氏に共通するテーマで語り合った。

 『小田実全集』が5月に完結になりました。監修をしていただいたキーンさんにお礼を申し上げます。

キーン 私も大変うれしく思っています。小田さんの全集にはいまでは手に入りづらい本も含まれており、日本だけでなく、世界の日本文化の研究に携わる人々や文学愛好者にとって、すべての小田作品が手に入るようになったことは、大きな意味があると思います。

 キーンさんは小田実の『玉砕』(1998年)を英訳されました。そのきっかけを伺いたいのですが、キーンさんが編まれた『昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア』(中央公論新社)という本を拝読して、そこに『玉砕』とのつながりを感じました。この本はキーンさんはじめ九人の日本語将校の往復書簡集ですが、その手紙を通して、アジア・太平洋戦争と終戦直後のアジアの姿が生き生きと伝わってきますね。

キーン はい。私はコロンビア大学で日本文化を学んでいましたが、開戦後、海軍日本語学校で日本語を学び、日本語の通訳士官として太平洋戦線に従軍していました。『昨日の戦地から』は終戦直後に私たち日本語将校が交わした手紙を通して、実際の日本の姿を広く伝えたいと考え、編纂したものです。

小田さんの『玉砕』を訳したきっかけですが、1959年、小田さんが『何でも見てやろう』の旅に出る前、ニューヨークで彼と会いました。それから40年近くたったある日、小田さんからの小包が届き、開けると『玉砕』が入っていたのです。小田さんは私が戦場で玉砕を見たことを知らないで送ってくださったのでしたが、実際には私はアッツ島の玉砕の場にいたのです。それはまだ当時も非常に恐ろしい記憶として残っていました。読むとどうしても翻訳したくなり、小説の翻訳は三島由紀夫以来40年ぶりでしたね。

小説の中では実際の島名が出ていないのですが、私は日本軍が残した書類を翻訳していたので、パラオ諸島のペリリュー島だと分かり、自分と深い縁を感じました。戦争という非常に恐ろしい体験は、時に忘れたいと思います。特にあのときのことは少しでも思い出すとぞっとします。人々が自爆して体が方々にちらばっていく。私は21歳でしたが、その年齢でそんな体験をしたら、決して忘れられるものではありません。敵味方という思いはもうそこにはなく、人間としてしか見られませんでした。

 そういった状況が往復書簡の中で克明に描かれていて、長引けば長引くほど人間性が堕落する戦争の愚劣さと残虐性も分かります。私は「これは文学だ」と思いました。おこがましいのですが、この往復書簡集自体にドナルド・キーンという文学者の源泉を垣間見た気がしたのです。

キーン ありがとうございます。当時は捕虜になった人は少なく、アッツ島では二十数人だけでした。捕虜たちは私に、生きた方がいいか、それとも死んだ方がいいのか、と聞くのです。私はどう答えたらいいか分からなかった。もちろん生きてください、日本のために、と言いましたが、話していて彼らを「敵だ」とはとても思えませんでした。

 そうでしたか。私はキーンさんの往復書簡集を読んだあと、小田の『玉砕』を改めて読みました。するとそれぞれがさらに深く文学として鑑賞できるように感じました。生死の境をくぐり抜けた人は人間の根源とは何かを考えたと思うのです。

『玉砕』にあるように、渦中にはさまざまな人間がいましたが、戦争は軍人だけではなく、すべての人が当事者になり全体がするものなのです。往復書簡を書いた日本語将校たちも本来は学究の徒であり、本物の軍人ではないのですね。戦争はどんな人も軍人に、平時もすべて戦時に変える強烈な全体性があることが分かった気がしました。