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『昭和陸軍全史1 満州事変』著・川田稔(名古屋大学名誉教授)---永田鉄山と石原莞爾
昭和陸軍全史1 満州事変』著・川田稔 
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今回、『昭和陸軍全史1 満州事変』(講談社現代新書)で取り上げた永田鉄山は陸軍統制派の指導者として、石原莞爾は満州事変の首謀者として、よく知られている。永田は1884年(明治17年)生まれ、石原は1889年(明治22年)生まれで、5歳の年齢差がある。

二人はともに、1929年(昭和4年)に結成された陸軍中堅少壮幕僚のグループ「一夕会」の会員だった。

満州事変当時、永田は陸軍省軍事課長、石原は関東軍作戦参謀。関東軍参謀として石原が現地で満州事変を推進し、永田は陸軍中央の一夕会系幕僚とともに、石原ら関東軍の動きを支援した。満州事変期の二人の関係はそのようなものだった。

そして、永田と石原は、ともに満州事変以後の陸軍で大きな影響力をもつようになる。ただし、石原が実際に陸軍中央で重要な役割を果たすようになるのは、1936年(昭和11年)の二・二六事件後である。永田はすでに皇道派と統制派の抗争激化のなかで暗殺されていた。

二人の共通点の一つは、独自の長期的戦略構想をもっていたことにあり、しかもそれが互いに交錯していた。

永田は、次期世界大戦が不可避であり、日本もそれに否応なく巻き込まれると判断していた。そして次期大戦は、ドイツ周辺から起こる可能性が大だとみていた。その場合、戦争は必ず国家総力戦となり、それに対処するには国家総動員と、戦時自給自足のための不足軍需資源確保が必須だと考えていた。永田は、その不足資源を中国大陸ことに満州・華北・華中に求めようとした。

そして、国家総動員の準備と計画を整えるとともに、まず現に日本の特殊権益が蓄積されている満州の確保に向かうべきだとの意見だった。

石原は、20世紀後半期に日米間で世界最終戦争が行われるとの強い信念をもっていた。そして、その世界最終戦争に向けて日本はアジアを統括する地位に立つ必要があり、そのためには中国に対する政治的指導権を確立しなければならないと考えていた。

それには、まず満蒙の完全な政治的掌握を必須とするとの判断から、満州事変に着手する。