東北の復興を支えた新仙台火力が図る、
世界一のコンバインド発電への脱皮

昭和46年の運転開始から実に43年の歳月が経ち、野球選手で言えば、とっくに引退していてもおかしくないロートル発電所となった新仙台火力発電所――。

ここは石油を燃料とする火力発電所で、あの東日本大震災のほぼ9ヵ月後、壊滅的な打撃を受けた東北電力の主力発電所群の中で最も早く営業運転の再開に漕ぎ着け、以後3年近くにわたって東北の復興を支えてきた発電所だ。

その新仙台発電所の今を取材しようと7月9日に現地を訪ねたところ、主燃料を天然ガスに替えて「世界一」の燃焼効率を持つコンバインドサイクル発電所への転換を目指す突貫工事が繰り広げられていた。

震災直後の「ロートル発電所」の惨状

過去の港湾整備工事によって市の東北部に孤立する飛び地になってしまった仙台市宮城野区港5丁目2番1号。名勝・松島にほど近い、この地に建つのが東北電力有数のロートル火力発電所である新仙台火力発電所だ。隣には、長年、発電所に燃料を直接供給してきたJX日鉱日石エネルギーの仙台製油所がある。

2011年3月11日の東日本大震災で、この発電所は震度6弱の強い揺れと、主要な建て物の1階部分がほぼ水没する巨大な津波に襲われた。隣接する堤防はいとも簡単に破壊され、敷地内に駐車していた数十台の自動車が次ぎ次ぎと流されて発電所に突っ込み建屋を破壊した。直接津波になぎ倒された施設も多く、強い揺れによって建屋の天井が崩落したり、断熱材がむき出しになったところも珍しくなかった。

所員の多くは被災した夜、小雪が舞う厳しい冷え込みの中で、タービン建屋の3階に避難し、家族の安否もわからないままに不安な夜を過ごしたという。

あまりの惨状に、発電所は被災の翌日、全所員を対象とする異例の避難命令を出した。近くの社員寮に対策本部を立ち上げて被害状況の調査や復旧計画の検討が始まったものの、運転員たちの中には当面の仕事がなく、フル稼働していた日本海側の火力発電所の応援に派遣された者もいた。

今回の取材では、事務棟の玄関わきに猛威を振るった津波の到達点がしっかりと刻まれているのを確認できた。