シー・ユー・チェン 第3回 「『チャイナクラブ』の退廃と『メトロポール』の成功、そしてCIAの誕生」

撮影:立木義浩

第2回はこちらをご覧ください。

シマジ ロサンゼルスでのチェンさんの活躍ぶりについても聞かせてください。

立木 おれとシマジがロスに取材に行った時期とも重なるよな。あのころのアメリカはとにかく元気がよかったよね。

チェン そうですね。当時のアメリカ、とくに西海岸にはエネルギーが漲っていました。

私がアメリカに渡ったのは27歳のときで、アルファキュービック・アメリカの社長としてでした。すでに結婚して子供も生まれていましたから、真面目に人生を考えはじめていたタイミングで、このビジネスに本腰を入れてやってみようと思っていました。店はビバリーヒルズのロデオ・ドライブに構え、2年間死にもの狂いで働きました。

しかし利益はほとんど出ませんでした。為替レートの問題が大きかったですね。当時は1ドル=280円くらいでしたが、とにかく変動が激しかったんです。これではとても商売にならないと判断して、日本の柴田社長に「もう辞めます」と電話で伝えたら、「チェン、ラグビーみたいに、泥をかぶりながらでも前に進まなきゃダメなときがあるんだよ」と説得されました。

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それで一度は踏みとどまったんですが、そうこうするうちに今度は本社の経営がおかしくなり、日本からの送金がストップしてしまったんです。3ヵ月くらいは自腹を切って高額な店の家賃を支払っていましたが、あっという間にお金が底をつき、こんどこそ会社を辞めることにしたのです。

ただ、わたしはたくさんの人から期待されて、ロスに旅立った経緯があります。ウォール・ストリート・ジャーナルから日経新聞まで、いろんなメディアが「アルファキュービックのシー・ユー・チェンがロスにアメリカ支社を立ち上げる」と記事にしてくれました。そんなわけで、無残に失敗しておめおめと日本に帰ることなど出来ない状況だったんです。