宮内庁編纂「昭和天皇実録」が完成
60冊、計1万2000ページ両陛下に奉呈後に公刊予定[昭和]

天皇誕生日に雨の中を皇居の参賀に集まった国民の前に手を振っておられた昭和天皇=1988年4月29日

歴史を一冊の本にたとえれば、西暦の年号は本のページを表し、日本独特の元号は「章」を表すことにはならないだろうか。近代以降、明治、大正、昭和、そして続く平成は、それぞれがひとくくりにできる時代のイメージを私たち日本人に与えてくれる。ここに来て「昭和」が再び注目されることになりそうだ。宮内庁が編纂していた「昭和天皇実録」が3月末に完成し、近く天皇、皇后両陛下に奉呈されるが、日本の歴史物語の中で「昭和の章」はどう描かれているのだろうか。

天皇実録は、亡くなった天皇陛下の一代記で、大正天皇までの123代にわたる天皇の記録がすべてある。もっとも多くの実録は、日本が天皇中心の近代国家の体裁を急速に整えようとしていた明治維新後に天皇親政に正当性を与えるために編纂されたものだ。いずれにしても「天皇実録」は、先代、あるいは先々代の天皇についての記録をその時代の天皇のために作って奉呈することになっている。

いわば天皇家の私家版文書としての性格を持つものとして扱われ、作られる部数も、両陛下への奉呈用、内閣・宮内庁に保存しておく分など10セット前後しか作られない。従って、公開を前提に作られたものではない。しかし、昨年、風岡典之宮内庁長官は、昭和天皇実録に関しては、奉呈後公刊することを明言した。これは、画期的なことだ。

明治天皇の一代記「明治天皇紀」は、昭和43(1968)年から公刊されたが、明治100年記念事業の一環として、国が特別に出版(出版元は吉川弘文館)したものだ。大正天皇実録は情報公開法に基づき公開されたものの、大正時代に官報などで公表された事実以外は、同法に基づき非公開の対象になる個人情報、例えば、大正天皇晩年の病状などは、墨塗りして公開された。1㌻丸ごと墨塗りされた箇所もあり、公開当初「歴史に対する冒瀆だ」として厳しい批判が歴史研究者らから湧き起こった。

では、今回早々と公刊を決めたのは、大正天皇実録とは異なるような状況の変化があったのだろうか。宮内庁の関係者は、「情報公開法に基づく公開基準をこれまで以上に緩やかにしたため」と説明する。つまり情報公開法の解釈による運用で柔軟に対応したことにより、大正天皇実録では墨塗りしたような内容も昭和天皇の実録編纂では、公表できる内容になったということで、戦前の検閲を彷彿とさせるような墨塗り(宮内庁は「マスキング」と表現する)はなく、昭和天皇実録に記述されている内容は、すべて公表の対象になるという。同庁関係者は、今回のように当初から公刊を前提とした実録の公表は、常に「国民とともにある」皇室を指向している天皇陛下の意向も反映されていると見る。