シー・ユー・チェン 第2回 「フィンガーズとユーミンと、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』」

撮影:立木義浩

第1回はこちらをご覧ください。

シマジ 莫大な遺産があったにしても、大黒柱のお父上が急死されてからのチェン一家はどうされたのですか?

チェン そこはまだ50歳だった母親が強かったんです。もともと母は父の生前からブレーン的な役割を果たしていましたから、ビジネスの勘が働いたのでしょう。悲しみに暮れるのではなく、父の遺産をどう効果的に投資すべきかをすぐに考えていました。

父の友人が経営する「赤坂飯店」の株に投資したり、名古屋に新しくできたキャッスルホテルに進出するプロジェクトを手がけたりしたため、わたし一人を置いてけぼりにして、母はビジネス第一とばかりにさっさと名古屋に行ってしまいました。幸か不幸か、わたしは13歳にしてひとりぼっちの不安な生活を送ることになったんです。

ヒノ それは過剰なる自由を意味していませんか。

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チェン そうですね。父の急死で、自分はもっと頑張って大きな人生の目標を持たなくてはいけないという意識が芽生えた反面、アメリカン・スクールの青春にどっぷり浸かってしまい、音楽とセックスに目覚めた自分もいました。まさに危険なティーンエイジャーだったんですよ。

シマジ 普通の若者が体験できないような青春時代だったのでしょうね。羨ましく思います。

立木 一関の田舎で本ばかり読んで過ごしたシマジの暗い青春と比べると、チェンさんの青春は華やかで光輝いているよね。

シマジ そういうタッチャンだって徳島の島育ちだもんね。