キース・リチャーズやジョン・レノンのような「徴兵を免れた世代」がやがてイギリスロック界のイノベーターとなった
中山康樹・著『ロックの歴史』第1章<後編>

ロックの誕生を俯瞰する

この本は、現在もなお最新の音楽として在りつづけているロックという音楽の、ある時代の歴史を俯瞰するために書かれた。一般にロックの歴史といえば、ロックンロールを生んだ「アメリカの歴史」として語られ分析されることが多いように見受けるが、ロックンロールとロックは別物――あるいは「同じ別のもの」というべきか――であり、アメリカ国内の出来事や事象だけで集約されるものではないと思う。(中略)ロックンロールが生まれ、それが流行音楽として廃れ、しかしながらイギリスに引き継がれ、やがてアメリカに逆輸入されるかたちでロックへと移り行く、その時代に焦点を合わせたいと思う。――『ロックの歴史』「はじめに」より

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イギリスの音楽的鎖国

ルイ・アームストロング(ロンドン・1970年)---〔PHOTO〕gettyimages

1919年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの訪英後、イギリスはジャズ・ブームに沸く。20年代に入るとさらに多くのアメリカのジャズ・ミュージシャンがイギリスを訪れ、ツアーを行なった。これによってイギリスにも多くの自称・他称のジャズ・ミュージシャンが誕生する。30年代には、デューク・エリントンやルイ・アームストロングといった大物がイギリス・ツアーを行ない、「本物」の神髄をみせつける。そしてイギリス人ジャズ・ミュージシャンたちの大半は白旗を揚げた。

その後の推移について詳述することは、この物語の本筋から少しズレる。そこで「サー」の称号を授けられた人物に登場願おう。1943年、ケント州ダートフォードに生まれたミック・ジャガーは、青年期、一般的にはブルースの愛好家として知られるが、一方では熱烈なジャズ・ファンでもあった。

「ジャズもよく聴いていたよ。ジャズに凝ってる友だちが一人いて、モダン・ジャズの世界を紹介してくれたんだ。友だちが聴かせてくれたのは、映画『真夏の夜のジャズ』にも出ていたジミー・ジュフリーとか、粋な歌とトランペットを聴かせるチェット・ベイカー、バリトン・サックスのジェリー・マリガンだね。デイヴ・ブルーベックもすごい人気だったよ。イギリスではしょっちゅうテレビに出ていたから、好きな人間がたくさんいたんだ。あのころは、なんでも細かく分類しなけりゃいけなかった。クール・ジャズ、メインストリーム・ジャズ、トラディショナル・ジャズって具合にね」

このミックの回想は、主に50年代を指す。その間の推移を補足すれば、デューク・エリントンやルイ・アームストロングが訪英した30年代以後のイギリスは、自国のミュージシャンの権利を保護することを目的とした団体、ミュージシャン・ユニオンの暴挙により、アメリカ人ミュージシャンの入国を禁止する。この音楽的・文化的鎖国によって、イギリスはジャズ後進国の道を自ら歩む。

「自分の手でつくるしかないじゃないか」

キース・リチャーズ(左)とミック・ジャガー(右)---〔PHOTO〕gettyimages

1939年9月、第二次世界大戦勃発。45年8月、終結。

ミック・ジャガーは43年に生まれた。そしてジョン・レノンやポール・マッカートニーといった未来の音楽の担い手の多くもこのころに生を享けている。その17年後に「徴兵を免れた」世代によってイギリスのロックは生まれた。徴兵制が長引き、あるいは廃止されなかった場合、ビートルズやローリング・ストーンズをはじめとするロック・グループが全国的な規模で輩出する可能性はほとんどなかった。

ミック・ジャガーが「サー」の称号を嬉々として受け入れたことに対して「バカじゃないか」と揶揄したローリング・ストーンズの相棒、キース・リチャーズは、アート・スクール時代の音楽的な思い出を語っている。

「いちばん人気があったのはジャズだった。ヒップな連中はみんな(チャールズ・)ミンガスと(セロニアス・)モンクにのめり込んでいた。その次がトラディショナル・ジャズ。みんな膝の下まである大きな黒いセーターを着て、女の子は黒いストッキングをはいていた。アート・スクールに通っていた連中の選択肢はそれだけで、あとはボールルームにでも出かけて(ダンス・バンドの)ネロ・アンド・ザ・グラディエイターズでも聴くしかなかった。ただし、このバンドのほうがトラディショナル・ジャズのバンドよりはずっとましだった」