「口パクはやめてナマでやるべきだと思った」ポール・マッカートニーが《ヘイ・ジュード》でみせた現役ロッカーの姿
中山康樹・著『ロックの歴史』第1章<前編>

音楽をもたない世代から生まれた「ロック」

ロックンロールはいかにして「ロック」になったのか。ロックの誕生をまったく新しい視点で解き明かした『ロックの歴史』(講談社現代新書)より、「第一章 イギリス・ロック史とアメリカ」を掲載する。

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44年後の《ヘイ・ジュード》

ロックの誕生を俯瞰する
この本は、現在もなお最新の音楽として在りつづけているロックという音楽の、ある時代の歴史を俯瞰するために書かれた。一般にロックの歴史といえば、ロックンロールを生んだ「アメリカの歴史」として語られ分析されることが多いように見受けるが、ロックンロールとロックは別物――あるいは「同じ別のもの」というべきか――であり、アメリカ国内の出来事や事象だけで集約されるものではないと思う。(中略)ロックンロールが生まれ、それが流行音楽として廃れ、しかしながらイギリスに引き継がれ、やがてアメリカに逆輸入されるかたちでロックへと移り行く、その時代に焦点を合わせたいと思う。――『ロックの歴史』「はじめに」より Amazonはこちら

オリンピックには魔物が棲んでいるといわれる。

2012年7月27日、ロンドン・オリンピック開会式のフィナーレで、ポール・マッカートニーが《ヘイ・ジュード》を「失敗」した瞬間、「ああ、こういうことか」と得心がいった。

ビートルズの《ヘイ・ジュード》は、間違うほうがむずかしいような単純な曲だ。ポール・マッカートニーが、両親の離婚問題に巻き込まれていた、ジョン・レノンとシンシアの息子ジュリアン(当時5歳)を不憫に思い、勇気づけるために書いたとされる。もっとも、のちにあるファンがジョンに、「《ヘイ・ジュード》がジュリアンについて書かれた曲というのは本当ですか」と聞いたところ、次のような答えが返ってきたという。

「ちがうよ。(ビートルズのマネージャーだった)ブライアン・エプスタインのことを歌っているのさ。最初は《ゲイのユダヤ野郎(Gay Jew)》というタイトルだったんだ」

このブラック・ジョークが、質問した純朴なファンに伝わったかどうかは定かでない。《ヘイ・ジュード》は1968年の夏、ロンドンのソーホーにあるトライデント・スタジオで吹き込まれた。最後の延々とくり返されるコーラスへの参加を求められた36人編成のオーケストラのなかの一人は、「こんなくだらない曲に付き合ってられるか!」と吐き捨ててスタジオを飛び出したという。

そして、44年が過ぎた。ポールは70歳に、ジュリアンは49歳になった。ジョンとブライアン・エプスタインは彼らの年齢に届くはるか前に他界し、怒りを露わにしたオーケストラの一員もおそらくは物故しているだろう。

「失敗」したポールの弁明

ポール・マッカートニー(左)と当時5歳のジュリアン・レノン(右)---〔PHOTO〕gettyimages

オリンピックの開会式で、ポール・マッカートニーは最初の「ヘイ」を二度歌った。「へイ、ヘイ・ジュード」・・・・・・もちろん《ヘイ・ジュード》の歌い出しの「ヘイ」は一度でなければならない。そして「ジュード、落ち込むなよ」とつづく。前奏はない。だから最初の「ヘイ」でつまずくことは許されず、まずもってそんなことはありえないだろう。なにしろ作者なのだから。

あの日、ポールは最初の「ヘイ」を歌い、それにつづいてもう一度「ヘイ」と歌い直し、「ジュード、落ち込むなよ」とつづけた。あるいは、そのように聞こえた。「あっ、ミスったな」。中継を観ていた全世界のビートルズ・ファンは、即座にそう思ったことだろう。

数時間と経たないうちに真相は明らかになった。ただし真相はひとつではない。最も多かった声は、放送事故か何か音声上の不測の事態が起きたときに使用するため事前に録音していた《ヘイ・ジュード》のテープが流れてしまったというもの。次いで、実際のライヴの演奏と事前に録音されたテープを同時に流す予定だったが、テープが先に流れてしまったという見解が挙げられる。一方には、口パクの予定だったが、会場の雰囲気を読んだポールが急遽ナマで歌うことに切り替えたとする意見も多くみられた。