大衆食堂「丸天食堂」を営む家庭に生まれ、24歳で独立し、迷わず飲食業の世界にとびこんだ藤尾政弘社長(55歳)。地元、大阪天満(大阪市北区)をこよなく愛し、人の温もりを感じるあたたかい食堂で外食産業のトップを目指す。
末っ子
実家は商店街でうどんから寿司から、中華まで何でもある大衆食堂を営み、厨房で働く両親の背中を見て育ちました。4人兄弟の末っ子で、親父が50歳の時の子供でしたので大変可愛がってもらいました。

おばちゃんのように立場の弱い人が働ける場所を作ろう。それには社会的意義がある。この理念を多くの人と共有したいですね。ふじお・まさひろ/'55年大阪市生まれ。追手門学院大学経済学部卒。
'88年に「まいどおおきに食堂」1号店を開店。
'99年には株式会社フジオフードシステムを設立し、代表取締役就任。
'02年、大阪証券取引所ヘラクレス市場に株式上場し、以後、全国47都道府県に出店を達成。上海、ハワイなどの海外進出も果たす。家族は妻、一男一女
天満
天神祭で有名な、大阪の天満生まれの天満育ち。毎年7月24~25日の祭りの間は食堂の稼ぎ時。店先ではスイカも売り、それを並べるのが私の仕事でした。
クライマックスの花火がはじまるとワクワクしたなぁ。天満は私にとっては商売の原点。厳しさも楽しさもすべてを教えてくれた大切な街です。
難聴
昭和30年3月3日の「耳の日」生まれ。でも、皮肉なことに小学校3年生時に慢性中耳炎で耳を悪くし、両親には心配をかけました。
親父は手術しないで治る方法がないかと、何軒もの病院に連れて行ってくれましたが、結局、手術をすることに。
食堂
手術から2年ぐらい経ち、ようやく片耳だけ聴力が戻りました。それからは出前から仕込みから必死に店を手伝いました。
朝から深夜まで休みなしの営業で、母の外出は隣の銭湯に行くだけという忙しい毎日でしたね。でも、これだけ働いてもそれほど儲からない"バタバタ貧乏"の商売だと感じていたので、「食堂だけは絶対やらない」と子供心に思っていました。
借金
24歳で初めて自分の店となるキッチンバーを持ちました。それからカフェ、創作料理店、とんかつ屋とさまざまな店を作り、30歳の頃には40店舗に。その代わり借金も10億円を超えていましたが、儲かる自信があったから全然怖くありませんでした。
- 大きな会社でみんなに認められちゃいけないんじゃないか?米国でヒッピーをしている姉から大事なことを教わりました (2012.02.17)
- 私が好きな言葉は「元気、勇気、夢」。仕事だって人生だってラクなわけがない! だから、どんな苦労も笑ってしたい (2012.02.16)
- 最近、「旬」って忘れられがちですよね。 その土地に合った旬の野菜を食べる、これが一番のごちそうだと思う (2012.02.11)
- 部下によく言うのは「誰が、いつまでに」ということ。責任を明確にしなければつい逃げたくなるのが人間ですから (2012.02.03)
- 既成概念を打ち破ろうと思えば、困難や軋轢があって当然。これにあえて挑戦するから、新しい何かが生まれる (2012.01.18)
- 過去はムリだけど、未来は変えられる。 (2010.07.31)
- 家族に食べさせたくないものは出さない。 それだけです。 (2010.01.21)
- 気を休めたら絶対ダメ。 時代は常に動いていますから! (2010.03.11)
- 290円ラーメンの真実 幸楽苑 新井田傳社長が語る「苦情をカネに変える法」 (2010.07.18)
- 日高屋 神田正会長 貧乏が生んだ"逆転の発想" (2010.07.23)
-
毎日フォーラム~毎日新聞社凍結の3区間の着工方針を決定 総選挙を控えてにじむ民主党の思惑[新幹線] (2012.02.23) -
-
日本の底力余震の中で新聞を作るVol.48~種まく人・その後 新しき年、そして慰霊 (2012.02.23) -
つながる!ソーシャル時代 ヒト・カネ・コトソーシャルベンチャーのための実用系オンラインガイド「SoJo」 (2012.02.23) -








Small Size
Large Size











