社長の風景

おばちゃんのように立場の弱い人が
働ける場所を作ろう。

フジオフードシステム 藤尾 政弘

2010年04月01日(木) 週刊現代
週刊現代
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  街中にひと際目立つ、筆文字で書かれた「○○食堂」という大きな看板。玉子焼きや塩鮭、味噌汁の旨そうな匂いを漂わせ、主力ブランド「まいどおおきに食堂」を中心に驚異的なスピードで次々と出店し成長を遂げるフジオフードシステム。'02年に株式の上場を果たし、総店舗数は700店を超えた。
 大衆食堂「丸天食堂」を営む家庭に生まれ、24歳で独立し、迷わず飲食業の世界にとびこんだ藤尾政弘社長(55歳)。地元、大阪天満(大阪市北区)をこよなく愛し、人の温もりを感じるあたたかい食堂で外食産業のトップを目指す。

 

末っ子
実家は商店街でうどんから寿司から、中華まで何でもある大衆食堂を営み、厨房で働く両親の背中を見て育ちました。4人兄弟の末っ子で、親父が50歳の時の子供でしたので大変可愛がってもらいました。

おばちゃんのように立場の弱い人が働ける場所を作ろう。それには社会的意義がある。この理念を多くの人と共有したいですね。ふじお・まさひろ/'55年大阪市生まれ。
追手門学院大学経済学部卒。
'88年に「まいどおおきに食堂」1号店を開店。
'99年には株式会社フジオフードシステムを設立し、代表取締役就任。
'02年、大阪証券取引所ヘラクレス市場に株式上場し、以後、全国47都道府県に出店を達成。上海、ハワイなどの海外進出も果たす。家族は妻、一男一女

天満
天神祭で有名な、大阪の天満生まれの天満育ち。毎年7月24~25日の祭りの間は食堂の稼ぎ時。店先ではスイカも売り、それを並べるのが私の仕事でした。
  クライマックスの花火がはじまるとワクワクしたなぁ。天満は私にとっては商売の原点。厳しさも楽しさもすべてを教えてくれた大切な街です。

難聴
昭和30年3月3日の「耳の日」生まれ。でも、皮肉なことに小学校3年生時に慢性中耳炎で耳を悪くし、両親には心配をかけました。
  親父は手術しないで治る方法がないかと、何軒もの病院に連れて行ってくれましたが、結局、手術をすることに。

食堂
手術から2年ぐらい経ち、ようやく片耳だけ聴力が戻りました。それからは出前から仕込みから必死に店を手伝いました。
  朝から深夜まで休みなしの営業で、母の外出は隣の銭湯に行くだけという忙しい毎日でしたね。でも、これだけ働いてもそれほど儲からない"バタバタ貧乏"の商売だと感じていたので、「食堂だけは絶対やらない」と子供心に思っていました。

借金
24歳で初めて自分の店となるキッチンバーを持ちました。それからカフェ、創作料理店、とんかつ屋とさまざまな店を作り、30歳の頃には40店舗に。その代わり借金も10億円を超えていましたが、儲かる自信があったから全然怖くありませんでした。

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