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[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
村田兆治(野球解説者)<後編>「苦境を乗り越え、1073日ぶりの勝利」

2014年06月27日(金) スポーツコミュニケーションズ

二宮: フランク・ジョーブ博士のもと、右ヒジの手術を受けたのが1983年。その翌年には二軍の試合に投げています。二軍とはいえ、実戦のマウンドに立つことができたわけですから、感慨深いものがあったのでは?
村田: 私も試合で投げられる喜びがあるかと思ったのですが、実際はそうでもなかったですね。例えば、ポーンと大きな打球をレフトに打たれたとするでしょう。一応、アウトはアウトなのですが、心の中では「あぁ、今のは一軍だったらホームランになっていたなぁ……」と、思わずため息が出ました。

二宮: 右ヒジの調子はいかがでしたか?
村田: ヒジよりも、肩の方が思わしくなかったですね。前年は手術のために1イニングも投げていなかったので、わずか1回投げただけで、肩が元に戻るのに2週間もの時間を要したんです。

二宮: 手術前は、どのくらいの日数があれば肩の調子は戻っていたのでしょうか?
村田: 完投したとしても、2、3日で、また元の状態に戻っていました。それが普通だと思っていましたから、肩の回復の遅さには多少なりともショックを受けました。でも、一度カムバックすると決めた以上、簡単に弱音を吐くわけにはいきませんからね。その後は遠投に始まり、下半身強化、柔軟体操と徹底して身体をいじめ抜きました。

二宮: その努力の甲斐あって、その年の夏には一軍のマウンドに復帰されましたね。
村田: 忘れもしません。84年8月12日、札幌・円山球場での西武戦、私は818日ぶりに一軍のマウンドに立ちました。稲尾和久監督から「準備しとけよ!」と言われたのは、7回でした。11対1と大量リードをしていて、ついに9回に「行くぞ!」と声がかかった。この時ばかりは体中が震えましたね。長い野球人生でも、武者震いを経験したのは、この時が初めてでした。

二宮: 2年ぶりの一軍のマウンド。自分の思うようなピッチングはできましたか?
村田: だいたいイメージ通りでしたね。投げたボールは全部で9球。ストレートが6球、フォークボールが3球でした。ヒジの痛みも全くありませんでした。

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