企業・経営
過疎地を「宝の山」に変えるベンチャーを創業
奥田浩美さんインタビュー
「人生は見切り発車でうまくいく」

「ウィズグループ」「たからのやま」を創業した奥田浩美さん    (筆者撮影)

IT分野の国際会議の事務局管理やイベントの運営を担う「ウィズグループ」の代表である奥田浩美さんが上梓した『人生は見切り発車でうまくいく』(総合法令出版)は、奥田さんのユニークな人生から紡ぎ出した一冊である。

「もう悩まない!」「『完璧』は目指さない!」と帯にあり、加えて「勝間和代さん推薦」とくれば、安っぽい自己啓発本かと疑いかねないが、実際は自らの経験に裏打ちされた具体的な話が詰まっている。奥田さんが2013年7月に徳島県美波町に作った「株式会社たからのやま」も「見切り発車」でスタートしたという。エネルギー溢れる奥田さんに「見切り発車」の人生を聞いた。

「たまたま就職した会社でIT関連をやらされた」のが起業のきっかけ

---ウィズグループはIT関連の国際会議などで事務局管理を請け負う会社として成功されていますが、もともとこの分野に関心があったのですか。

奥田 いいえ、大学院を出てたまたま就職したのが国際会議の企画運営会社だっただけです。新入社員ということで重要な企業の会議は任せてもらえず、当時はまだ出始めだったIT関連の仕事をやらされた。(米マイクロソフト創業者の)ビル・ゲイツや(アップル創業者の)スティーブ・ジョブスらが日本にやってくるようになった草創期でしたが、可能性をすごく感じました。

1991年に貿易会社の出資でIT専業の国際会議会社を起業しました。まだパソコンもインターネットも普及していないころですが、米国で急速に広がっていたIT関連の大規模イベントが日本に上陸する手助けをしてきました。

---たまたま入った分野で起業までしてしまったわけですか。もともとは何をやりたかったのですか。

奥田 親が教師で、地元の大学の教育学部に入っていましたので、そのまま教師になる路線が敷かれていました。親から与えられた課題をこなしているような気持ちがくすぶっていたのです。教員採用試験も受かり配属される学校が決まりかけていた時に、気が変わりました。インドに行こうと思いたったのです。

もちろん親は大反対です。当時、父親はムンバイの日本人学校の校長をやっていました。説得するためにムンバイ大学の社会福祉の修士課程に行くと言い、何度も電話をかけ、何とか許しを得たのです。インドでは週3日地元のソーシャルワーカーに付いて歩くフィールドワークをしました。価値観の崩壊というか多様性の受容が不可欠だということを身をもって学びました。

2年目はマザーテレサが作った施設に行きました。当初は社会福祉の仕事に就こうかとも考えたのですが、教師を捨てたのに公務員になるというのも変だと思い東京に出たのです。そこでたまた会社に出会ったわけです。

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