朝日新聞とNYタイムズの書評欄は似て非なるもの ~スノーデン本の扱いに見る彼我の隔たり

2014年06月13日(金) 牧野 洋
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著者の人格を攻撃するのはジャーナリズムではない

アメリカは違う。ジャーナリズムの世界で最も栄誉あるピュリツァー賞には伝統的に批評部門がある。著名批評家にはジャーナリスト出身者が多いからこそだ。

たとえばニューヨーク・タイムズで有名な書評家は、日系アメリカ人のミチコ・カクタニ氏だ。振り出しはワシントン・ポスト記者で、ニューヨーク・タイムズ移籍後の1998年にピュリツァー賞を批評部門で受賞。キンズレー氏よりも前の5月13日付紙面で『暴露』の書評も書いている(この書評は同書に好意的な内容だった)。

製品批評の分野では、経済紙ウォールストリート・ジャーナルで昨年までコラムニストを務めたウォルト・モスバーグ氏がいる。もともとは同紙の外交・軍事担当記者だが、自らの意志で1991年に製品批評担当コラムニストへ転身。消費者の視点から是々非々で製品批評を書いて「消費者の守護神」とまで呼ばれるようになった。

「批評=ジャーナリズム」という認識があれば、批評にも厳しい報道倫理が適用されなければならない。その意味で、パブリックエディターのサリバン氏がキンズレー氏の書評にかみついたのも当然の成り行きだったのである。

すでに書いたようにキンズレー氏は著者のグリーンワルド氏について「常に自分が正しいと思い込んでいる気難しがり屋」と書いたほか、「ジャーナリスト」ではなく「仲介者」と言及している。本の内容を批判するのはジャーナリスムであるが、著者の人格を攻撃するのはジャーナリズムではない---サリバン氏はこう指摘したのだ。

日本の新聞書評欄は「お勧め」というトーンばかりと書いたが、もちろんそうでない場合もある(ネット上では厳しい書評はいくらでもある)。たとえば、「ホリエモン」こと堀江貴文氏が書き、数十万部のベストセラーになった『ゼロ』について、朝日が12月22日付朝刊で取り上げた書評だ。評者が学者や作家ではなく、ジャーナリスト(朝日の鈴木繁編集委員)であることにも注目していい。

この書評は、『ゼロ』に否定的な判定を下し、ネット上で大反響になった点でキンズレー氏による『暴露』のケースと同じだ。「大人になったのか、と問われれば、どうも、そんなふうでもない」と書くなど、同書の内容というよりも筆者の人格を主題にしているように読める点でも似ている。

残念なのは、その後の展開に違いが出たということだ。ネット上での反響に対して、朝日は紙面上で何も対応しなかった。書評担当編集者にコメントさせ、書評の内容が朝日の報道倫理基準に合致しているか(あるいは合致していないか)説明することなどはなかったのだ。

書評欄はジャーナリズムではないと見なしているからかだろうか。それともネット上の反響に反応する必要性を感じていないのだろうか。そもそもパブリックエディター機能が欠けているから何もできないのかもしれない(同紙には外部の有識者で構成し、年に数回集まる紙面審議会はある)。

  

著者:牧野 洋
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