ドイツ
世界中で乱用される「抗生物質」---菌と医学の果てしない競争が続く憂鬱な未来
〔PHOTO〕gettyimages

日本の戦後の混乱期、私の知り合いは夫人を肺炎で亡くした。ようやく戦争から戻ってきて、「さあ、これから!」というときだったから、悲しみは大きかった。とにかく何もなく、亡くなった妻をリヤカーに乗せて、自分で焼き場に運んだ。「今だったら、死ぬような病気じゃないのに」と、その話になると、彼はいつまでたっても悔しさを隠せないのだった。

「抗生物質」は、20世紀における偉大な発見の一つだ。戦争中、アメリカでペニシリンの大量生産が可能になり、多くの負傷兵の命を感染症から救った。ただ、ペニシリンは結核には効かなかった。結核に効くストレプトマイシンが発見されたのは、1944年のことで、日本でも戦後しばらくして、ようやく使われるようになった。

ストレプトマイシンがもっと昔に発見されていれば、ショパンもあれほど早死にはしなかっただろうし、『椿姫』は書かれなかった。石川啄木も正岡子規も、余生を全うしていただろう。以来、抗生物質の研究は着々と進み、自然由来のもの、半合成のものと、現在は100種類以上が使われている。

日本とドイツにおける抗生物質の処方の違い

病院に行くと、ドイツと日本で明確に違うことがある。抗生物質の処方だ。ドイツでは、単なる風邪で医者に行って抗生物質を処方されることはほとんどない。薬が欲しいというと、せいぜい消炎剤か、咳止めなどをくれる。ウイルス性の感染には抗生物質は効かないというのがその理由だ。

昔、さっと治る薬をくれと頼んだら、「そんなものはない」と言われた。「おとなしくしていれば1週間で治るが、無理をすると7日かかりますよ」とうそぶいた医者もいた。まあ、普段から健康な人間なら、風邪ぐらい薬なしでも自然に治癒するということだろう。

ただ、ウイルス性ではなく、細菌が絡んでいるとみると、即座に抗生物質を出してくれる。それを見極めるのがドイツの医者の務めであるらしい。そして、一旦、抗生物質が処方されれば、たとえ症状が消えても途中で辞めてはならず、決められた分量は飲みきらなければいけないとかなり厳重に諭される。

狙い撃ちした菌が全滅していないうちに服用を止めると、その途端に、菌が再びワッと増殖して病状が悪化するとか、また、菌自身が変異し、以後、うまく抗生物質が効かない体になる恐れがあると脅かされる。

日本で抗生物質をもらったときも、そのことが頭にあったので、「症状がなくなっても最後までのんだ方がいいのでしょうか」と訊いたら、「症状がなくなれば、別にのむ必要はありませんよ」と言われたので、わけがわからなくなった。いったい、どちらを信じればいいのだろう。

そういえば、日本では家人に、「風邪気味だったら、抗生物質が残っているから、のんでおけば」と言われたこともある。残った抗生物質をのむ、あるいは、他人に勧めるということは、ドイツでは聞いたことがない。

そもそもドイツというのは、いつでも、怖いところを強調して報道する国なので、抗生物質のデメリットは国民の間にかなり知れ渡っている。だからだろう、昔から、なるべくなら抗生物質は避けるという人が多い。

娘の友達に、生まれてこの方、一度も抗生物質をのんだことがないという子供がいた。両親は科学者だ。しかし、この子が病気にならなかったわけではなく、病気のときはいつも、抗生物質なしでの治癒を待ったのである。

今や彼女の体の中には、過去に罹患した病気に対する免疫が、たくさん貯えられているはずだ。その彼女は大学を出て、研究者としてアフリカに行ってしまったので、親としては正しい選択をしたと言える。アフリカに行くなら、免疫はたくさんあったほうがよい。

ところが、日本では、抗生物質のデメリットはあまり語られない。医者も、「では、抗生物質を出しておきましょう」と、あたかも予防薬のような扱いだ。それをしないと、「せっかく来たのに、抗生物質も出さない」と怒る患者もいるらしい。

先日、娘が日本で風邪をひき、ドイツへの帰国間近だったので、病院に連れていったら、案の定、抗生物質が処方されそうになったが、娘がかたくなに拒否したため、お医者さんは大変困り、私は「強情な娘ですみません」と謝った。日本の医者は、せっかく来た患者を、効果的な処置なしで追い返すのは申し訳ないと思っているのかもしれない。

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