第82回 ココ・シャネル(その四)ハンドバッグは「自分の墓地」---毒舌をふるった高級ホテル暮らし
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シャネルの目から見ると、作家ラディゲはコクトーのマスコットだったという。

「ラディゲ? 干した果物ね。だから夭逝したのよ」

実際マスコットでありながら、ラディゲはコクトーを酷く嫌っていた。

「ある日、私の家でコクトーが世間話に励んでいたら、ラディゲがコクトーにむかっていきなり、『お前が一番の俗物じゃないか』って云ったことがあったわ。そこまで怒る必要はないと思ったけれど、ああいうタイプのカップルは複雑で難しいのよ」

リッツ・ホテルのエレベーターボーイが、真鍮の蛇腹を必死で押えている。
シャネルは細長いショルダー・バッグから、綺麗に折った新しい紙幣を一枚ひきだす。

「マドモアゼル、昨日もチップを戴きました」

シャネルは低い声音で云う。

「だったら、あなたは運がよかったのよ」

シャネルは、ハンドバッグを自分の墓地と呼んでいた。

「こんな死人なんか、みんな追い払ってしまいたいのに」

彼女は、新しい札のつまった財布をバッグに戻し、ツイードのジャケットを羽織ると黒いキャデラックの後部座席に乗り込み、スイスへと向かう。

「私、飛行機にのっても、安全ベルトはしめないのよ。飛行機が燃えたときに、逃げられないと困るじゃないの」

シャネルは、少しずつ常軌を失っているようにみえた。
ライターでタバコに火をつけた時、やけどをした。
すんでの処で、ベッドを焼く処だった。

一行は、田舎のビストロに繰り込んだ。

「だれもいないのね、でも構わないわ、注文して」

クリーム煮と、子羊のステーキ、それにアンディーブとスパゲッティ、そして安物のボージョレ。
ヴェネツィアに向かう途中、ミラノで降りると、ルキノ・ヴィスコンティの息子たちは、みな美男子揃いだった。
こんなに美しい男たちは、はたしてどんな宿命を背負うのだろうか。

ふたたびシャネルは、ボーイたちに語りかける。