スポーツ

[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
村田兆治(野球解説者)<前編>「絶望感、プライド、諦め……悩み続けた1年間」

2014年06月13日(金) スポーツコミュニケーションズ

二宮: 今日は夏季限定メニュー「うな丼」を食べながら、いろいろとお話を伺いたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
村田: よろしく。「すき家」さんは、私の周りでも美味しいって評判だから、今日は楽しみにしてきましたよ。

二宮: 村田さんと言えば、やはり右ヒジ手術からの復活劇が有名です。ダイナミックなフォーム“マサカリ投法”で一世を風靡し、ロッテのエースとして活躍していた最中の1982年、右ヒジに激痛に襲われたのが始まりでした。
村田: いや、もうそれまでに経験したことのない痛みでした。

二宮: 忍耐強い村田さんが音を上げるくらいですから、相当な痛みだったことが想像できます。
村田: 投げようとすると、脳天に突き刺さるというか、首の後ろにまでズーンと痛みが走るんです。そうすると、腰がガクンと落ちて、もう立ち上がれない。まるでノックアウト負けをくらったボクサーのような感じですよ。

二宮: 翌年には米国で、靭帯が断裂したヒジに正常な腱を移植する“トミー・ジョン手術”を受けました。渡米するきっかけは何だったのでしょうか?
村田: 日本のどこの病院に行っても、「異常なし」と言われたんです。こんなに痛いのに、正常なわけがないんですけど、当時の日本の医学では、原因を追究することができなかったんでしょうね。最後に行ったのが知人に紹介された順天堂医院でした。私としては、早く引退宣告を受けたかったんです。

二宮: 楽になりたかったと?
村田: そうですね。とにかくエースになりたくて、それまでがむしゃらにやってきていましたからね。今では“マサカリ投法”と呼ばれていますけど、当時は「何だ、あのフォームは」と散々な言われ方をされていたんです。それでも分析、研究をし、「なにくそ」と思いながら根性むき出しにしてやってきた。ヒジを痛めた時は33歳でしたし、当時の野球選手の平均寿命くらいでしたから、もうそろそろいいかなと思っていたんです。

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