感動読み物この男がいたからダルビッシュ、田中はメジャー入りできた 伊良部秀輝 哀しき最速エースの肖像 後編 父との対面と、突然の別れ
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田崎健太ノンフィクション作家

周囲と衝突を繰り返しながらも、念願のメジャーの地を踏んだ。移籍先は史上最強とうたわれたヤンキース。「父を探す」という中学時代からの目標も3年目で達成。だがそれが最速王の絶頂だった。

果たされなかった約束

北緯60度に位置するアンカレッジは9月初旬でも、すでに冬の匂いがしていた。

スティーブ・トンプソンはぼくが泊まっているホテルまで来てくれることになった。ロビーで待っていると、冬服を着込んだ客がぽつりぽつり現れた。何人目だったろうか、足に鉛をつけたようにゆっくりと歩く、白髪の老人が入ってきた。目が合った瞬間、この人が伊良部秀輝の父親だと思った。かすかに伊良部の面影があったのだ。

トンプソンは1935年4月16日、シカゴで生まれている。生後3ヵ月で一家はオレゴン州ポートランドへ移った。そこで父親のデビッドから野球の手ほどきを受けた。自動車整備士のデビッドはかつて野球選手となることを夢見て、ボストン・レッドソックスの入団テストを3度、受けたことがあった。

ところが、捕手だったトンプソンは本塁に飛び込んできた走者と衝突して、肩を脱臼、野球を早々に諦めた。その後、18歳で空軍に入隊。1958年に羽田の空軍基地に赴任している。横田基地勤務を経て、1962年にアメリカへ帰国した。再び日本に戻ることになったのは1966年のことだった。日本を含めた東アジア地区はアメリカにとって重要な軍事拠点となっていた。1960年から始まったベトナム戦争が激化していたのだ。今度の赴任地は沖縄—そこで伊良部の母親、和江と知り合うことになる。出会った場所を尋ねるとトンプソンはこう答えた。

「コザのレストランだ。そこで彼女は働いていた」