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あの先生に出会えてよかった——私が今日、こうして生きているのは先生のおかげです——中野翠「文通の日々が私の『礎』になった」

中野翠 コラムニスト、エッセイスト
文通の日々が私の「礎」になった

恩師は、中学時代の国語の担当の須美利子先生です。

私が中学2年生の時、新卒の教師として赴任してきたので、歳は8~9歳上。小柄で手足が細く、化粧っ気はないけれど、美人な先生でした。

須美先生は、私が所属していた新聞部の顧問です。

私にとって、部活の何よりの楽しみは、新聞作りの合間に先生と雑談すること。話題は主に、共通の趣味だった映画についてでしたが、時々社会情勢や本のことも話します。当時評判になっていた、教育評論家・阿部進さんの著書『現代子ども気質』を貸してくれて、感想を聞かれたこともありました。

先生と話していると、私の中に眠っている「感性」や「知的好奇心」が、パチパチと目覚めていくような新鮮な喜びを感じたのです。

その感動が忘れられなくて、私は高校に進んでからも先生に手紙を送るようになりました。文章だけでは表現しきれないので、イラストやマンガ入りでね。

2歳年下の妹が同じ中学に通っていたので、飛脚代わりにして、手紙を渡してもらったこともありました。

先生の自宅は私の家から歩いて15分くらいだったので、遊びに行ったこともたびたび。先生の机回りには『世界』や『朝日ジャーナル』といった雑誌や、私の知らない作家の本がギッシリ並んでいた。そこからは、ちょっとした知的秘境の気配が醸し出されていて、ワクワクしたものです。

先生は、私の稚拙な手紙に、毎回丁寧に返事を書いてくれました。確か、私が高校の担任教師のことを、イラスト入りで描写した手紙に対する返事だったと思うのですが、「中野さんはなかなか鋭い文学的な感受性の持ち主ね」と書かれていたんです。「えっ!ただのふざけた文章なのに、これを『文学的』と言っていいの!?大丈夫なの!?」と、びっくり仰天でした。

先生の言葉は、私の「文学」観を変えました。私が書く戯言も、広い意味での「文学」になるのかもしれない—。そんな予感をもたらしてくれたんです。