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〔PHOTO〕gettyimages

中西悟堂という名を聞かれたことがあるだろうか。明治生まれの僧侶にして詩人・歌人。自然を愛し、鳥や虫を終生の友とした「日本野鳥の会」の創立者である。
彼の『かみなりさま』というエッセーに魅入られた。悟堂は27歳のとき埼玉県・飯能の山寺に住んでいた。当時の飯能は今と違う。

「夏じゅう、カミナリサマは毎日々々飽きもせずに、午後というと秩父の山塊からお出ましになる。それも、ただ出てくるのではない。眷属たくさんを連れて出てきて、連日随所へお下りになるのだ」

ゴロゴロがガラッピシャッ、ドロドン、カリカリとなった後、家が鳴り響いてドカンと落ちる。ある日、それがとうとう眼前1m余りの大樹を一挙に裂いた。

「垂直二十メートルの巨幹が紫電と白光の中で、てっぺんから根もとまで真っ二つに割れると、材質の内部の裂け口が、異様に白くヒラヒラした。キナ臭い匂いもした」

一瞬の出来事に悟堂は呆然とした。その後の異常な静けさのなかで自然の怖さに震え上がった。

彼は峠の細道で大熊に出くわし肝を潰した経験がある。が、雷の怖さはその比ではなかった。いつまでも恐怖が後を引き、「俺はいつかは雷に打たれて死ぬ運命なのかもしれぬ」と思うようになった。

飯能から東京に移っても恐怖は消えなかった。西荻窪の善福寺池畔に住んでいたころ、西の空でゴロッと鳴ると、自転車を西荻窪駅に走らせ、中央線で新宿まで行き、駅の地下道にしゃがみ込んだ。そこなら安全と思ったからだ。

こんなふうに雷を怖がったのは彼一人ではない。昔、大森の料亭で詩人らの会合があったとき、激しい雷雨に遭遇した。それに驚きあわてて2階から駆け下り、帳場の格子の四角い穴に首だけ突っ込んで震えていた詩人がいた。

悟堂曰く、「あとで御本人から直接きいたところによると、自分がこう怖いのは僕は雷で死ぬ運命に違いないと言った。この点では私と全く同格なのだ。その人は誰あろう、高村光太郎だった」

著名作家の宇野浩二も「恐雷の同士」である。彼は雷から逃げ込むため自宅にわざわざ地下室を作っていた。彼らの他にも「恐雷さん」はかなりいたと言う。

私だって雷は怖い。でも、悟堂たちほど極端な「恐雷さん」は聞いたことがない。どうやら2~3世代前と今では、雷の怖がり方のレベルが格段に違うらしい。
なぜだろう。むろん住環境が違うのだろうが、それだけではないと思う。日本人の心の底にある自然観がこの数十年で様変わりしたのではないか。悟堂の自伝を読みながら、ふとそう感じた。

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