官々愕々 規制委人事とメディアの責任

5月27日、政府は、原子力規制委員会委員のうち9月に任期が来る二人の委員を再任しないと発表した。このうち、島崎邦彦委員長代理の交代については、電力会社に厳しかったので、政府が交代させたというマスコミの報道が多かった。

しかし、それは、表面的な見方だ。

まず、島崎委員が電力会社に厳しかったというのは正しくない。現に総理秘書官の一人は、「島崎さんの言っていることは極めてまとも」と評しているという。島崎委員が決して厳しかったわけではないことを、原発推進にのめり込む官邸でさえ認めているわけだ。

私が知る地震学者の多くも、島崎氏を「人間としては良心的」としながらも、学者としては、電力会社にかなり妥協したと見ている。つまり、客観的に見て、島崎氏は、決して「電力会社に厳しい」ということはなかったのである。

規制委は、あらゆる意味で再稼動を前提に動いている。地震の評価の面で見ても、基本的な姿勢は電力会社に対して甘いのが実情だ。例えば、米国であれば立地地点について大きな地震のリスクがないということを電力会社側が完全に証明して規制委員会を納得させなければならない。規制側は、その説明でわからなければ、「わからないから、建設はダメ」と言える。日本では逆に、電力会社が「規制委の言うことは根拠不足だ」などと偉そうに論評し、それに対して規制委の側が原発の敷地内の断層調査などを行って、「危ない」ことを証明しようとするありさまだ。立証責任が逆転している。

また規制委は、基準地震動(各原発ごとに想定する最大の揺れの大きさ。それ以上の揺れは絶対に起こらないとされていたのに、過去10年足らずの間に、5回も基準地震動を超える地震が生じた)の見直しを指示した。当たり前だと思うだろうが、驚くべきことに電力会社はこれに抵抗し、「島崎は電力会社に厳しい!」と批判した。

川内原発(鹿児島県)の早期再稼動を画策する九州電力にとって「島崎退任」は朗報だ。一部には退任が決定した島崎氏が最後にとんでもない「置き土産(今まで以上に厳しい判断)」を残すのではないかと心配する向きもあるが、それは杞憂だろう。

すでに島崎氏は、川内原発再稼動のために大きな妥協をしているからだ。規制基準では、火山の超巨大噴火に伴う火砕流が原発に到達する可能性がある場合には立地不適とされているのに、抜け道規定を作って九電がモニタリングして噴火が予知されたら急いで対応すればよいとしてしまった。

しかし、火山噴火予知連絡会会長らは、「超巨大噴火の予知はできない」として、規制委の立場を根本的に否定している。九電はこんなに「甘い」島崎氏に足を向けて寝られないだろう。

たった一人で原子力ムラと闘うのがいかに困難なことか。私自身、身をもって体験してきた。島崎氏がその恐怖に押しつぶされ、退任後のことを心配したとしても決して驚かない。

しかし、よく考えると、本来、独立性が保障されているはずの規制委の委員が政治家などから公然と圧力を受けているのはおかしい。政府に責任があるのは当然だが、これを見て見ぬフリをしたマスコミの責任も大きい。島崎氏は世論の後押しもなく孤立したと感じ、退任に追い込まれた。マスコミが、自民党や、経産省、財界などの横暴を最初から厳しく批判し、世論を喚起していれば、結果は違っていたかもしれない。

この国のマスコミが変わらない限り、後任となる石渡明委員にも多くは期待できないだろう。

『週刊現代』2014年6月14日号より

原発の倫理学(税別価格:1400円)
話題作『原発ホワイトアウト』著者・若杉冽氏推薦! 「霞が関には古賀さんを隠れキリシタンのように慕っている官僚たちがいる。原発の裏も表も全部わかる必読書」

原発は「倫理的」に許されないエネルギーだという議論をすると、それは「感情的」あるいは「主観的」な議論であるというレッテル張りをされる傾向があります。経済論や技術論は受け入れられても倫理論は受け入れられないのが現状だと言ってよいでしょう。しかし、倫理の問題は、経済や技術の分野でも非常に重要な問題です。二人の元総理(小泉氏と細川氏)が期せずして脱原発を「人の生き方の問題」「倫理の問題」として語り始めたことは、極めて重要な意味があります。私が小泉氏や細川氏に期待するのは、大きな哲学、「脱原発の倫理観」を国民に提示し、国民的大議論を巻き起こすことです。議論の末、国民の大多数が新しい日本の生き方、「脱原発と再生可能エネルギーで、自然とともに生きる国日本」を目指すという共通の目標に到達すれば、その時初めて、脱原発が可能になるのだと思います。――<「はじめに」より抜粋>

※本書は2013年5月に先行発売した電子書籍『原発の倫理学 古賀茂明の論考』の内容を大幅にアップデートした上で再編集したものです。