第80回 ココ・シャネル(その二)コルセットから女性を解放した。「シャネルの五番」で名声は永久不滅に
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一九一三年、ココ・シャネルは、ドーヴィルに、はじめて店を出した。
パリから北に約二百十キロの英仏海峡に面した街、ドーヴィルは、当時、避暑地として人気を集めていた。
町の中心をなしているホテルの豪奢な部屋は、金満家が泊まり、カジノは、毎晩、盛況であった。

パリの本店では、まだ帽子が主要な商品だったが、ドーヴィルの店では、シャネル自身がデザインした、ウエストを絞らないスカートや開襟シャツを並べていた。
カットはゆったりしたものだったので、コルセットは不要だった。
コルセットは、数世紀を通じて女性たちの身体をしめつけてきたが、シャネルのおかげで、ようやく解放されたのである。

シャネルの店が流行ったのは、立地条件以外の理由もあった。
当時、オートクチュールの顧客の頂上に君臨していたのは、ロスチャイルド夫人であった。
夫人はきわめて傲慢で、シャネルのライバルである、ポール・ポワレのモデルを侮辱したために、ポワレはロスチャイルド夫人を、自らのレセプションから閉め出したのである。
シャネルにとっては、勿怪の幸いであった。
ライバルが、自分から上客を譲ってくれ、その上客が顧客を大勢紹介してくれたのだから。

一九一四年六月二十八日。
ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで、一発の銃声が響いた。
オーストリアの皇太子夫妻が、セルビアの民族主義者によって射殺されたのである。
セルビアとオーストリアは戦争状態に突入した。
フランスとイギリスは、小国セルビアを支援しているロシアの側につき、ドイツはフランスに宣戦布告をした。

当初、戦争はごく短い期間で終了すると考えられていた。
何しろ、普仏戦争は数ヵ月で決着しているのだから。
しかし、その予想は、大きく覆されたのである。

第一次世界大戦で動員されたフランスの兵士は、約四百万人にのぼった。
そのうち約百四十万が戦死し、百七十万が負傷したのである。
しかし戦禍は、ひとしなみにヨーロッパを呑み込んだわけではなかった。
有閑階級や芸術家たちは、避暑地であるビアリッツに集い―モーリス・ラヴェル、イーゴリ・ストラビンスキー、ピエール・ロチ、ジャン・コクトー、アーネスト・ヘミングウェイ―、快適な生活を維持していたのであった。