加藤智治【第2回】「現場を『末端』と呼ぶのか『最先端』と呼ぶのかー相手に対するリスペクトを自分の言葉でどう表現するかが重要」

組織を改革する「ターン・アラウンド・マネジャー」の仕事
加藤智治氏と慎泰俊氏

⇒【第1回】はこちらからご覧ください。

慎: その手応えがつかめた瞬間のようなものはありましたか? ゆっくり変わっていったとは思うんですが、ターニングポイントになったような出来事はあったんでしょうか?

加藤: 最大のターニングポイントは、出向から転籍したことだと思いますが、それ以外にも私個人としてのターニングポイントのようなものは、最初の1年半くらいの間に三つありました。

一つ目は初めて全店長会議というのをやったんです。そのときは店舗数が全国で200店舗くらいだったと思うんですが、意外なことにそれまで全国の店長さんが集まるというイベントがなくて、それを提案させてもらって「やりましょう」ということになったんです。ユニゾンがスシローに投資したのが9月くらいですから、それからちょうど半年後くらいの翌年3月に初めて第1回の全店長会議というのをやって、それがすごく反響が良かったので、その後、毎年恒例になって今でも続いています。

大人になった今こそ「熱い気持ち」を思い出そう

年々バージョンアップしていって、表彰をしたり映像を使ったりと発展していったんですが、いちばん最初は手作りで、司会も含めて外注せず、全て社内だけで行いましたが、そのときに僕も一言喋らせてもらって、自分のスポーツの経験を話したんです。

当時の社内の人たちから見ると「いろいろなことがあって、ファンドというよくわからない人たちが関わってきて、この会社はどうなっちゃうんだろう」と、本社の上層部の人たちはまた違うとは思いますが、現場の店長さんたちはそういうモーメンタムですよね。でも、外食産業というのは店長ビジネスなので、店長が「やるぞ」と思えば会社は変わるわけで、店長さんたちにそう思ってほしかったんです。

そこで、僕は社会人アメフトチームのアサヒビールシルバースターという古豪チームに所属していたんですが、9年間所属していた間に1回だけ日本一になったことがあって、そのときの話をしたんです。4回決勝に出て3回負けて1回だけ日本一になったんですが、そのときになぜ勝てたのかを振り返って考えてみると、選手はみんな20代、30代のオッサンなので普段は学生みたいに熱くないんですが、そういうオッサンたちがあのときばかりはものすごく熱くなったんですね。

試合の前に恒例でやっていたのが、監督やコーチの方に席を外していただき、選手だけでクラブハウスのミーティングルームみたいなところに集まって、アメフトのボールをキャプテンがかざして、「じゃあ明日の試合に向けて思うことを、一人一言ずつ言っていこう」と、ボールを順番に回していったんですよ。

ボールを受けたら立ち上がって「俺は明日の試合でこうだ、ああだ」というふうに何か一言言うんですが、その重要な試合に至るまでに半年くらいずっと辛い戦いを続けてきているわけですから、感極まって泣いたりする選手も出てくるんです。

そこで「前の年に負けたリベンジをしたい」とか、そういう生の感情をみんなの前で出していって、それをみんなで共有することによってチームとして一つになっていくという行事を始めたんですね。それがすごく良くて、僕はやっぱりああいうことが一つのベースとなって決勝で勝てたんだと思っていますので、第1回目の全店長会議でそのときの話をしたんです。

全国の店長さんたちに対して「皆さんも、10代、20代の頃に一生懸命やったことが必ずあると思う。それはスポーツかもしれないしそうじゃないかもしれないけれども、そのときにすごく一生懸命に打ち込んだ熱い気持ちは今もあるはずだから、その熱い気持ちを大人になった今もう一度思い出して、それでこの改革をやり抜いていこう」と訴えたんです。

それがどういう受け取られ方をしたかはわからないんですが、自分のなかでは全店長会議というイベントを自ら提案して実現できて、そのなかで敢えて数字のことにはまったく触れずにそういうことを言ったんですが、多分「あれって何だったんですか?」と言われなかったということは、それなりにメッセージが届いたんじゃないかな、と思えたことが一つ目の手応えでした。

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