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栴檀は双葉より芳し有名企業わが社の「伝説の新人たち」
野村證券キリンビールパナソニックみずほ銀行ほか

新入社員の仕事は、往々にして「取るに足らないもの」であることが多い。だが、そこには仕事のエッセンスが詰まっている。基本に愚直に向き合えるか。ひたむきさこそが、「伝説」を作り上げるのだ。

20億を4年で100倍に

学生から新社会人になって最初に感じるのは、会社が命じる仕事の「理不尽さ」かもしれない。だが、その理不尽さの中に意味を見出し、先輩社員たちが思いもよらない結果を残した「伝説の新人たち」がいる。野村證券に在籍した市村洋文氏(55歳)は、かつてそんな伝説をつくった証券マンの一人だ。

「当時、野村證券の新入社員には、一日40枚の名刺集めのノルマが課せられていました。40枚集めるまでは会社に戻れません。このノルマを馬鹿馬鹿しいと思う人は多いと思いますが、私はそうは思わなかった。代々続いているのだから、必ず何か意味があるに違いない、そう思ったんです」

現在、経営コンサルティング会社・ファーストヴィレッジの代表取締役を務める市村氏は、証券マン時代をそう振り返る。

市村氏が野村證券に入社したのは'83年。仙台支店に配属されたその1年目に10億円を売り上げ、全国の新人営業マンのトップに立った。その原点が名刺集めだった。毎日40枚の名刺を集めるために人に会っていると、その意味がわかってきたという。

たとえば中堅企業の社長は株が好きだが、大企業の支店長は株をやらない。オーナー社長でクラウンに乗っている人は株に興味がないが、ベンツに乗っている人は株好き。さらに受付嬢が美人の会社の社長は株好きが多い、などなど。

だが、あるとき東京に研修に行くと、同期の中にとんでもない新人がいた。1ヵ月で1500枚の名刺を集めたというのだ。

「どうすればそんなことができるのかと、そいつに聞くと、『おまえは昼飯を座って食べているだろう。おれは歩きながら食べている。その差だよ』と言われました。以後、自分もそれを実践することにし、昼飯は毎日歩きながら食べることにしたのです」

そんなある日、仙台市内の呉服屋の社長が県内一の高額納税者だと知り、アプローチした。もちろん、会社の誰もが一度は狙った相手だ。受付嬢は「社長にはお取り次ぎできません」と言うばかり。だが、他の証券マンと違って、市村氏はあきらめなかった。50回以上も通い詰め、最後は会社の前で待ち伏せまでした。市村氏が名前を名乗ると、社長は言った。

「そうか、おまえが市村か。話を聞こう」

受付嬢は彼が訪問するたびに、受け取った名刺を社長に渡していたのだ。まもなく彼はその社長から10億円の注文を取り、入社半年の新人の快挙として本社の知るところとなった。

「40枚の名刺を集めるには、だいたい200件の飛び込みが必要です。これを1週間続けたら、1000件の訪問で名刺は200枚。このうち社長の名刺はせいぜい25枚です。さらにそこから取引に結びつくのは1人。999件の営業は失敗なのですが、それは決して無駄ではありません。なぜなら1000件訪問しなければ、1人のお客様に巡り合うことができないからです」

その後、市村氏は新宿野村ビル支店に移り、預かり資産20億円を4年で2000億円に増やした。これは当時、野村證券始まって以来の記録だった。

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