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人生は思ったようにはいかないもの 早稲田・慶応の「トップ」は活躍したのか?
特別レポート 徹底調査 東京大学「首席卒業」のその後

「私は経済界でキャリアを積んだ人間ですが、慶応の成績がその後の人生に影響したことはない。そもそも学校の成績なんてものはその時の運でしかないわけだから。社会に出て活躍できるというのは、もっといろんな要素があるものです」

日立製作所名誉顧問の八木良樹氏はそう語る。

八木氏は、慶応大学を卒業した昭和35年に、経済学部の優秀者表彰を受けた人物。卒業後、日立製作所に入社、平成3年には取締役に就任した。そんな八木氏に、「慶応のトップ学生だったことがビジネスに生きたか」と聞いたところ、冒頭の言葉が返ってきた。八木氏にとって、学生時代の輝かしい称号は、もはや遠い記憶の彼方のようだ。

前章では東大首席のその後を追ったが、では、私学の名門・早稲田大学、慶応大学のトップ学生はどのような人生を歩んだのだろうか。昭和30~40年代の、早慶のトップ学生をまとめたものが右の表だ。

慶応と並び立つ私学の雄、早稲田のトップ学生に与えられる賞に「小野梓記念賞」がある。大隈重信と共に早稲田大学建学に尽力した「建学の母」小野梓の名を冠した同賞は、昭和33年に創設された。学術、芸術、スポーツなどで優れた成績を修めた学生が、学部生・院生問わず表彰され、いまも「学生褒賞の中で最も名誉ある賞」(早稲田大学広報)とされる。

同賞から多くの大学教授が生まれたことは、表をご覧頂ければお分かりの通り。一見すると、研究者としての華々しい将来を約束する賞のようだ。しかし、昭和35年度に小野梓賞を受賞した塚田博康氏は、「人生は思うようにはいかなかった」と語る。

「安土桃山から江戸時代の庭園に関心があり、大学時代は全国の庭園を見て研究していた。その論文が認められて受賞したんです。