中国
中越関係はまさに一触即発!? アメリカの存在感が低下した東アジアはますます不穏な状態に

「われわれはベトナムを愛する!」
「いまから東部海域に向かおう!」

若者たちが、右腕を振り上げながら練り歩く。

ベトナムの反中国運動が、西沙諸島の領有権問題からエスカレートしている。5月15日には、ベトナムの中国・台湾系企業で働く中国人従業員6人が殺害されたことが明らかになった。

ベトナムから送られてくる映像を見ていると、若者の企業荒らし、雄叫び、工場に上がる炎・・・。どこかで目にした風景ではないか。

そうだ。2年前の秋に、中国全土で日系企業が被害に遭った時の光景だ。あの時も、日本が実効支配している尖閣諸島を国有化するという島嶼部の領土問題が原因だった。今回も、中国が実効支配している西沙諸島の海域で石油の掘削作業を始めたことにベトナムが抗議したものだ。

まさに因果応報、歴史は繰り返すものだ。2年前は、中国にある日本の所有物が、これでもかというほど壊されたものの、日本人が殺害されることはなかった。その意味では、今回のベトナム人の中国に対する「怨念」は凄まじいものがある。

堪忍袋の緒が切れて事態は一触即発

そもそもベトナムの歴史を振り返っても、「北の大国」中国との戦争の歴史である。ベトナムの漢字表記「越南」は、古代の浙江省に栄えた越国が、呉越戦争を経て南に落ちのびたことが由来だと言われる。その後、ベトナムは2000年以上にわたって、中国の支配と独立に揺れた。その点は、朝鮮半島の歴史と似ている。漢字文化でありながら、漢字を捨ててしまったところも共通項だ。

いまの中国は、建国から3ヵ月後の1950年1月にベトナムと国交を結んだ。「ベトナム独立の父」ホーチミン首相の時代は、毛沢東率いる中国との蜜月関係が続き、ベトナム戦争も、中国が北ベトナムをバックアップして勝利した。このあたりの歴史も、朝鮮戦争で中国の支援を受けた北朝鮮と似ている。

そしてベトナム戦争で勝利してから4年後の1979年、ベトナムが中国の友好国カンボジアの紛争に介入したことで、鄧小平の怒りを買い、中越戦争となった。1984年には再び大規模な国境紛争が起こった。1988年には、南沙諸島で中越衝突が起こっている(赤爪礁海戦)。いずれの戦いも、大量の軍を投入した中国側の勝利に終わったため、ベトナム側の恨みは大きい。

さらに今回の争点である、南シナ海に浮かぶ多数の珊瑚礁の小島・西沙諸島(パラセル諸島)の歴史も複雑だ。もともとは無人島で、ベトナムを植民地支配したフランスが管理していた。1954年に第一次インドシナ戦争が終結し、フランスが撤退。ベトナム共和国(南ベトナム)が西半分を、中国が1956年以降、東半分を実効支配した。

それが、ベトナム戦争中の1974年1月に、中国とベトナムで西沙諸島の戦いが起こり、中国が西沙諸島全体を実効支配するに至った。1988年、中国が西沙諸島最大の永興島(2.1km)に、2600mの滑走路を建設。2007年11月には中国が、西沙、中沙、南沙を管轄する三沙市を海南省に制定し、支配を強めていった。

2014年5月2日からは、中国海洋石油総公司(CNOOC)が海底資源探査を実施し始めた。

そのため、領有権を主張するベトナム側の堪忍袋の緒が切れて、5月7日、中国海警局の艦船とベトナム沿岸警備隊の艦船が衝突した。この衝突でベトナム側が6人負傷。ベトナム沿岸警備隊がビデオを公開し、中国側が衝突する映像が流れたため、ベトナムで大規模な反中運動が展開されたというわけだ。

現在、西沙諸島では中国側の艦艇60隻と、ベトナム側の艦艇35隻が睨み合っていると報じられている。どちらの軍も増派が見込まれ、ますます一触即発になってきた。

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