現代新書
明日(あした)はあなたも殺人犯!

検証「恵庭OL殺人事件」再審棄却決定
『絶望の裁判所』著者の瀬木比呂志氏。現在、第2部の準備中

2000年3月に北海道恵庭市で起きた殺人事件を覚えておられるだろうか?

OLが、三角関係のもつれから同僚女性を絞殺し、死体に火を放って損壊したとされる事件は、「恵庭OL殺人事件」として、新聞、テレビ、週刊誌を大いににぎわせた。しかし、実は、この事件の容疑者となった女性は、一貫して、無実、冤罪を主張していたのである。

だが、事件から約14年が経った2014年4月21日、札幌地裁は、大方の予想に反して、容疑者からの再審請求を棄却する決定をした。

元裁判官で、ベストセラー『絶望の裁判所』(講談社現代新書)の著者である瀬木教授は、札幌テレビからこの事件に関連して取材を受けたことがきっかけで、詳細を調べたところ、「本当にこの証拠で有罪にしたのか」と言葉を失うほどの、検察寄りの片寄った証拠評価が行われていたという。瀬木氏は「日本の刑事司法においては、いったん警察、検察に目を付けられたら、裁判官がむしろ例外的な良識派でない限り、どうがんばっても、有罪を免れることはできない。再審も開始されない」と、暗澹たる気持ちになったという。

瀬木氏は、「冤罪は決して他人事ではない」ことを多くの方に知ってもらうために、「恵庭OL殺人事件」の再審請求棄却決定を批判的に考察する文章を『現代ビジネス』に緊急寄稿した。「日本の刑事司法は中世並み」とよくいわれるが、本稿を読めば、これが決して誇張ではないことがわかるはずだ。

なお、瀬木氏は、現在、日本の裁判の問題点と裁判官の判断構造を、数々の事例を通じて、体系的に、またリアリスティックに明らかにする『絶望の裁判所第2部』(仮称)を準備中であり、その中でこの事件についても取り上げる予定である。

「あらゆることに償(つぐな)いはつく、と人は言うが、
 どんな距離も、ゼロではない
 だから、私は、今も忘れはしない
 私を牢獄(ここ)に入れた人たち
 その、ひとり、ひとりの顔を」
          ボブ・ディラン「アイ・シャル・ビー・リリースト」

2014年(今年)4月21日にされた恵庭OL殺人事件の再審請求棄却決定(札幌地裁。加藤学裁判長)は、同年3月27日にされた、袴田事件の第二次再審請求に対する再審開始決定(静岡地裁。村山浩昭裁判長)との明暗のコントラストが激しい判断である。なお、袴田事件については、私は、雑誌『g2』16号(5月20日発売)に掲載される文章で分析を行っている。

 恵庭OL殺人事件とは、2000年3月16日夜、容疑者(以下、実名を使用せず、単に「容疑者」として記述する)が、容疑者の交際していた男性の気持ちが被害者に移り、その男性が被害者と交際することになったという三角関係のもつれから、被害者である同僚女性を絞殺し、午後11時ころ死体に火を放って損壊した、として起訴された事件である(なお、逮捕状では、上記の時刻は「11時15分ころ」とされていたが、その時刻だと後記のとおり容疑者のアリバイが成立してしまうため、15分早められたものと考えられる)。

 以下の記述は、できる限りわかりやすく整理したものであるが、なお、かなりわかりにくい部分があるかもしれない。しかし、それは、「検察、警察の言い分がありえないような強引なものであり、にもかかわらず、裁判所もそれを無理に正当化しようとする」ので、わかりにくくなるのだということを理解していただきたい。

 第一審判決は、容疑者が、午後11時5分ころまでに、容疑者の車の中で、後部座席からタオル様のものを用いて被害者の首を絞めて殺し、11時5分ころ、10リットルの灯油を用いて死体に火を放ち、11時10分ころに現場を出て11時36分(なお、控訴審判決は「30分」とする)にはガソリンスタンドに立ち寄って給油を行い、その後、翌日午前3時ころまでの間に、被害者の生存を偽装するために、被害者の携帯電話から7回の発信を行った(電話をかけた)としている。

啞然とする裁判所の証拠認定

 実は、私は、この事件の再審請求に対する裁判所の決定が出る前に、札幌テレビから取材を受けていた。その際、事件についてざっと調べた上で、「被害者死亡後にその生存偽装工作を目的として発信されていた被害者の携帯電話からの発信記録が容疑者の足取りにおおむね一致するという証拠が、本件における唯一の重要証拠でしょう。しかし、この証拠が堅いものなら、再審開始は難しいのでは?」と記者に告げていた。「いや、その証拠もそんなに確実なものではありません」というのが記者の答えだった。私は、取材では、事件とは離れ、裁判官や司法制度に関する一般論だけを述べた。

 しかし、再審請求棄却決定の後、報道をみると、種々不審な点があり、学者の同僚たちからも同様の意見を聴いたので、決定を取り寄せ、関連の書物や記事等についても読んでみた。その結果は、啞然とするようなものだった。

 民事系の裁判官であった私の民事訴訟における感覚からしても、検察が証明責任を果たしているとは思えない。まして、これは、民事よりも証明度のハードルが高い刑事訴訟なのである。しかし、この事件に携わってきたすべての裁判官たちは、そのような不十分な立証を容認してきたのだ。

「本当にこの証拠で有罪にしたのか。また、再審開始もできないというのか。刑事裁判というのは、一体どういうことになっているのか」というのが、私の正直な感想であった。

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