台湾
台湾に根付く「日中融合文化」の発見---10年ぶりの台湾訪問記【前編】
〔PHOTO〕gettyimages

GWを利用して、台湾へ行ってきた。

以前はよく訪れたものだ。李登輝総統のご自宅へもお邪魔したし、陳水扁前総統と馬英九総統にも、それぞれ総統就任前にインタビューした。

最後に台北を訪れたのは、2004年3月の総統選挙の時だった。当時の与党・民進党の陳水扁総統と野党・国民党の連戦主席が、台湾を二分して戦い、陳水扁総統が僅差で勝利した。

だが、その時以降、丸10年間にわたって、私は一度も台湾を訪れなかった。

最大の理由は、台頭する中国大陸の方に、興味が移ってしまったからだ。2009年から2012年までは、北京で勤務した。当時の北京はバブル経済に沸き、中国大陸の首都からアジア全体の首都へと、大きく変貌を遂げようとしていた。

そんなわけで今回、久々に台北・松山空港に降り立った。

まるで日本の都市に降り立ったよう

小雨模様の中、匂い立ってくる台湾の懐かしい香り---。

アジアの空港には、その土地独特の「香り」がするものだ。成田空港や羽田空港は、帰国するたびに感じるのだが、醤油のダシの匂いがする。ソウルの金浦空港は、キムチを漬けたような唐辛子の香りがプーンと匂い立ってくる。タイのバンコク国際空港は、ココナツミルクの香りだ。北京首都国際空港は、以前なら、黄土の香りが身体を包み込み、「大陸へ足を踏み入れた」という実感が湧いた。だがいまは、残念なことにPM2.5の微粒子がすぐに喉を覆い、ゴホゴホと咳き込むばかりだ。

それで台北はと言えば、担人子麺を出している屋台のような、台湾独特の薬味の効いた南国風中華料理の香りだ。この懐かしい香りを一発嗅ぐと、長旅の疲れも癒されるというものだ。

松山空港は、この台湾の香りを除けば、まるで日本の都市に降り立ったようで、外国へ来たという感じが湧かない。確かにこの空港は、1936年に日本が建設したものだ。また日本にも、同じ名前の「松山空港」が四国の愛媛県にあるため、空港名からして日本人に馴染みがいい。

だが、松山空港を私が「外国」と思わなかった最大の理由は、その醸し出す雰囲気が、日本の空港そのものだからだ。

空港内には、日本のセブンイレブンやクロネコヤマトが入っている。そしてトイレは清潔だし、あちこちで清掃員が床を磨いている。カート車は決して新しくないが、真っ直ぐしっかりと動く。トランクの受け取り場では、係員が客のトランクを一つひとつ、しっかり横に揃えて並べ置きながら、ベルトコンベアに流している。ボランティアのバッジをつけたオバサンたちが、笑顔で歩き回っている。

こうした「風景」は、過去10年間で50回ほど往復した北京首都国際空港では、決して見られないものだった。明らかに中国大陸とは「異質の場所」に降り立ったことを示していた。

松山空港の税関では、私の順番になると、男性職員が笑顔で「こんにちは」と、はっきりした日本語で声をかけてくれた。そしてパスポートに入国のハンコを押すと、「はい、どうぞ」と再び日本語で言って、パスポートの向きを私の方に上下を直してから渡してくれた。私は今一度、驚いた。

さらに税関を過ぎた後、空港内の両替所で日本円を5万円ほど、台湾元に両替した。私の前には、たまたま日本人の女の子3人組が並んでいた。3人は「いくら替えたらいいのかなあ」などと日本人特有の優柔不断な会話を交わした後、うち一人が素っ頓狂なことを言い出した。

「そうだ、両替のお兄さんに聞いてみよう。台湾って、日本語が通じるってガイドブックに書いてあったから」

そしてあろうことか、防弾ガラスの向こうの銀行員の台湾人青年に向かって、日本語で「ねえ、私たち台北に3日間滞在するんですけど、いくら替えたらいいですか?」と質問したのである。

だが驚くべきことに、その黒メガネをかけた青年銀行員は、ニッコリ微笑んだ。そして流暢な日本語で、逆質問を始めたのだった。

「そうですね、マッサージには行きますか?」
「マッサージに行きたい!」(3人揃って声を上げる)
「ではおみやげに、烏龍茶とかカラスミは買いますか?」
「烏龍茶は買いたいけど、カラスミはパスかな」

こんな調子で、防弾ガラスを挟んで会話が弾む。最後は3人の女の子が満面の笑顔で、「ありがとうございました!」とお辞儀し、手を振って両替所を後にしたのだった。

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