梅を育てる土にこだわっています。雑多な栄養分を含む有機肥料のほうがおいしい梅ができる。農家さんと一緒に育て方を研究しています。
チョーヤ梅酒 金銅重弘

梅酒の製造・販売で知られるチョーヤ梅酒。ちょうど100年前の1914年に、創業者・金銅住太郎が大阪府羽曳野市で葡萄の栽培を始め、戦前から戦後にかけ葡萄酒やブランデーを製造・販売していた企業だ。同社が、ジャンルが違う梅酒で約35%とシェア1位を獲得できたのはなぜか。創業者の孫・金銅重弘社長(59歳)に経営論を聞いた。


こんどう・しげひろ/'54年、大阪府生まれ。'79年に和歌山大学経済学部を卒業後、シャープへ入社。'83年蝶矢洋酒醸造(現チョーヤ梅酒)へ入社。同年より同社を指揮し、いち早く海外市場を開拓、海外で梅酒が「CHOYA」と呼ばれるほどの成功を収めた。'96年、取締役海外事業部長に就任、'07年から現職。同社の昨年の年商は100億円 ※チョーヤ梅酒のwebサイトはこちら

ピンチ

細々とワインをつくっていた祖父が、60歳を機に引退を考え、記念にボルドー(フランスのワインの産地)を訪ねたときです。現地の醸造家と話すと、葡萄果汁などの原価が日本の5分の1もせず、祖父は「将来、いつか貿易が自由化されたら生き残れない」と考えた。このときの危機感が、弊社の礎になったんです。

試す力

梅酒を手掛けたのは「たまたま」でした。祖父の引退後、弊社はオレンジジュースやココアまで商品化し、'59年に「日本独特のお酒を」と考え、梅酒をつくりました。業種を転換するまでは、数限りない試行錯誤があったのです。

市場の創造

梅酒の販売開始当初、酒屋さんへ営業に行くと「梅酒は家でつくるもので、買うものじゃないでしょ?」と言われました。市場はなかったのです。しかし、食べ物の歴史にヒントがありました。醤油も味噌も昔は家でつくっていて、きっと梅酒も同じ歴史をたどるのではないか、と考えたのです。結果、その通りになりました。市場は、そこにあったのでなく、つくったものだった、と言えます。

進出 オーストリア、ウィーンの日本食レストランで現地の輸入業者と会食。梅酒のおいしさを直接会って伝えた。'91年に撮影したもの。写真右が金銅氏

ウメビーフ

私が初めて梅酒に触れたのは、小学校2~3年のときでした。興味があって、梅酒の梅をかじったら、顔が真っ赤になった覚えがあります(笑)。ちなみに梅酒に漬けていた梅は需要があるので、今も通販で販売しており、変形したものは牛のエサとして卸しています。梅酒の梅を食べると、牛が夏バテせず元気に育つようなんです。

肉は「大阪ウメビーフ」という名で売られ、店頭に並べるとすぐに売り切れてしまうほど人気で、素晴らしい味がします。

祖父の教え

祖父は、子供のころ病弱だった私の将来を心配し「どこかに就職して定年まで勤め、その後は田地田畑で農業をやれ」と人生計画まで立ててくれました。その後、私がシャープへ就職すると大変喜んでくれ、ほどなく亡くなりました。

私はシャープで営業職をつとめました。当時は街の電気屋さんが大型家電量販店さんに太刀打ちできず、続々と廃業していく時期でした。時代はすごい勢いで変わっていく、と肌身で実感しましたね。