第77回 正力松太郎(その三)ベーブ・ルースを呼べ―野球が根付いた「日米親善試合」で、読売を大いに宣伝

昭和四年の暮れ方。
報知新聞の論説記者、池田林儀が正力を訪ねて来た。
池田は、記者仲間では、国際通という定評を得ている人物だった。

「正力さん、あなたベーブ・ルースを識っていますか」

正力は、高岡中学で野球をしていた事があった。

「本塁打を一シーズンに、六十本も打っているんですよ。朝日も毎日も、ベーブ・ルースを招聘したいが、ギャラが高すぎて手がでない。読売が招いたら、面白いんだけれど・・・・・・」

口惜しそうに池田は、云った。

「で、池田君、いったいギャランティはいくらなんだい?」

正力の目を見つめながら、池田は云った。

「二十五万円です」

当時、シボレーの4ドアセダンが、二千五百円であった。
莫大なギャラである。
当時、野球はようやく国民的スポーツの一角を占めるようになっていたが、まだまだ本格的に普及しているとは云えない状況だった。けれど、ベーブ・ルースが来日すれば、野球人気が沸騰するのは、目に見えていた。

「池田くん、ルースを呼んでくれ。二十五万円といっても、五万ぐらいは値切れるだろう」

正力は、早大野球部の監督を辞したばかりの市岡忠男を、読売の運動部長に抜擢した。

外務省は、率先してルース招聘の道筋をつけたと云う(『正力松太郎の昭和史』)。
険しさを増していた日米関係にとって、またとない機会だと考えたのである。
ニューヨークの総領事、斎藤博から、ハンター監督との交渉経緯が届いた。

「交渉は進んでいます。ギャランティは、ルースが七万円、ルー・ゲーリッグが三万円、他に監督、選手、審判を加え夫人同伴で、二人を含めて総額二十五万円。ただしルースとゲーリッグ以外は二流どころになります」

正力は、叫んだという。

「俺は、一流主義だ。二流は御免被る」

結局、ハンター監督が来日し、正力と見えることになった。

「今回の招聘は、日米親善と読売新聞の宣伝以外の目的しかない。だから私は一文も儲けようとは思っていない。もしも上手く儲かったなら、全部君たちに進呈しましょう」

ハンターは驚いた。

「正力さん、それは本当か?」

本当だ、日本人に二言はない、と正力は云った。

「話はわかった。ギャランティは十万でいい」