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日本が元気だった時代の象徴田中角栄を語ろう

「金権政治の権化」と呼ばれ、逮捕もされたそれでもオヤジのあの笑顔が忘れられない
週刊現代 プロフィール

後藤 毎朝、新潟から陳情客を大勢乗せた大型バスが来るけれど、大型バスが入る家など、普通はないですよ(笑)。御殿というより城。庭には公衆トイレがあり、毎朝、目白講堂と呼ばれた広間で、後援者や陳情客を前に1時間の長広舌をふるう。

実は私と角さんの間には因縁があり、特別に「お前に特急券をやる」と取材を許可されたんです。というのも、角さんは1943年に今のJR飯田橋駅近くに「田中土建工業」をつくります。その隣が私の実家だったんですよ。角さんは、「ここで永田町の話はするな。飯田町(現・飯田橋)の話をしに来い。毎朝、後援会の演説をやるから、それを見て、俺という人間を判断しろ」と。

キミ、メシは食ったのか

朝賀 私はオヤジの演説を二十数年聴き続けたけれど、オヤジの演説は面白かったし、心にずしんとくる。たとえば、'62年に初めて大蔵大臣に就任したとき、官僚たちを前にした演説が心に残っています。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。かくいう小生は素人だが、トゲのある門松は、諸君よりはいささか多くくぐってきている。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになるが、お互いが信頼し合うことが大切である。思い切り仕事をしてくれ。しかし責任の全てはワシが背負う。以上」

これを聞いて鳥肌が立ちましてね。庶民の感覚とかけ離れたトンチンカンな演説をする政治家とはまったく違いました。

後藤 今の政治家のパーティは資金集めの色合いが濃く、演説が面白くない。でも、角さんをゲストに招いたパーティは、木戸銭を払った価値があると思えるほど、面白い。人への愛情が絶えずあり、庶民に根ざした政治をやろうとする。だから、みんなが慕って集まったんだと思います。

朝賀 よく言ったのは、「結婚式は招待状がなければ行けないが、弔いに招待状はいらない」。人が失意のどん底に沈んでいるときこそ、励ましてやれ、と言うんです。

山本 「敵はつくるな。人間は皆兄弟みたいなもんだ」と言う人ですからね。

朝賀 雪の話もよくしました。'63年(昭和38年)、200名以上が亡くなった「サンパチ豪雪」のとき、大蔵大臣だったオヤジが初めて豪雪に災害救助法を適用させた。それまで役所は、「雪は春にとける」という理屈で、災害と認めなかったんです。

後藤 角さんは日本を土建国家にしたと批判されますが、生活に根ざした発想は絶えずありました。当時は高度経済成長期で国家に潤沢な予算があったから田中政治は可能だったと言われますが、それは違います。役人の発想にはない税源を見つけてきて、それをどう使うかを考えていた。