雑誌
日本が元気だった時代の象徴田中角栄を語ろう
「金権政治の権化」と呼ばれ、逮捕もされたそれでもオヤジのあの笑顔が忘れられない
たなか・かくえい/1918年、新潟県生まれ。第64、65代総理大臣。最終学歴は高等小学校卒業ながら首相にまで登りつめた姿は「今太閤」とも呼ばれた。ロッキード事件で逮捕された後も、政界に大きな影響を及ぼし続ける。'85年に脳梗塞で倒れ、一線を退く。'93年没〔PHOTO〕gettyimages

もうこんな人は二度と出てこないかもしれない。人懐こい笑顔と清濁併せ呑む器の大きさに、誰もが魅了された。昭和を駆け抜けた大政治家の姿が、いま蘇る。

目白にあった「秘境」

朝賀 私は'61年から24年間、秘書としてオヤジの側にいたけれど、いまだに「金権政治の権化」とされるなど、バイアスがかかった偶像が世間に伝えられていることがあまりにも多いと感じます。

山本 僕が角さんの密着取材を始めた'83年当時、田中角栄の写真といえば、ロッキード裁判で裁判所から出てきて、「ヨッ」と手を挙げるものばかりでした。それ以外は、「闇将軍」とか「角影内閣」とか、おどろおどろしい言葉を補う説明的な写真しかない。これでは一面的すぎると思い、僕は「猟師」になって、田中角栄という「獲物」を追おうと決意したんです。

後藤 私が担当記者になったのは、山本さんが密着し始めた後ですね。'84年からで、ロッキード裁判の一審判決直後でした。

山本 番記者は自宅の中にも入れるけど、僕らみたいなフリーランスのカメラマンは、普通にやっても角さんに食い込めない。

それまで僕はシベリアやアマゾンなどの秘境を撮ってきたけれど、目白に行くと、屋敷の周囲に3m近い高さの脚立が並び、カメラマンたちがシャッターチャンスを狙っている。まさに目白も「秘境」でしたよ(笑)。

そこで秘書の早坂茂三さんを4ヵ月間口説いて、特別に撮影を許してもらい、3年間密着しました。田中角栄という人間の面白さに魅了されましたね。

朝賀 オヤジのことを「稚気愛すべき人間」だと評した女性詩人がいたけど、もうその答えに尽きます。子ども以上に子ども。「人間大好き」人間ですね。

山本 目白の御殿で行われた'83年の新年会に特別に入れてもらって驚いたのは、角さんは1日で2日分の生活をしていること。

後藤 そうそう。日々の行動からしてそうでした。

山本 朝9時から宴会が始まり、後援会の人たちを相手に徹底して飲んで、午前11時には母屋に帰って寝る。2時間後には起きてきて、入れ替わりで入ってきた別の後援会の人たちと午後4時まで飲む。