主演映画は1本だけ。脇役も主役もないと考えていた蟹江敬三という役者

誰もが知るベテラン女優を取材していたところ、その合間の雑談で彼女は引退をほのめかした。映画、ドラマの行き過ぎた商業主義化に嫌気がさしたそうだ。

理由はもう一つあった。「『私って演技うまいでしょ』とばかりに過剰な芝居をする役者が増えて、うんざりしている」という。

どんな芝居が正しいのかを定義するのは難しく、議論百出になるだろうが、この女優が言うとおり、近年は誰の目にも「演技をしている」という芝居をする役者が増えた気がする。オーバーな顔芸をはじめ、市井の人がやらない表情や仕草をすることが、正しい芝居とされているふしがある。

蟹江敬三の存在抜きには成立しなかった作品たち

そんな風潮とまるで逆だったのが、3月末にガンで逝去した蟹江敬三さんだ。どの役柄も芝居に見えなかった。70年代の『Gメン75』(TBS)では、ゲスト出演するたび、殺人鬼や強姦魔に扮していたが、あまりにリアルで、その怖ろしさには震え上がらされた。

このドラマの中で扮した役の一つである望月源治は、ドラマファンたちの間で「史上最強の悪役」と崇められているという。OL5人を強姦目的で次々と拉致して、目的を遂げるや殺害したという凶悪犯。Gメンたちに逮捕されるが、護送中に脱走する。まるでモンスターのような男で、凡常の役者では演じきれなかっただろう。完全無欠のヒーロー役をリアルに演じるのが難しいのと同じく、桁外れのワルも並みの演技力では嘘っぽくなる。

『Gメン75』のみならず、ほぼ同時期、にっかつロマンポルノでも強姦魔などの役ばかりだったから、「蟹江敬三は怖い人」というイメージがすっかり定着した。が、79年になり、中上健次原作の映画『十九歳の地図』(監督・柳町光男)を見ると、そこには気弱そうな蟹江さんがいた。虫も殺せないであろう、情けない中年男。新聞販売店に住み込みで勤務する紺野だ。

仕事は出来ず、周囲の若い同僚たちにはホラばかり吹き、生きがいはパチンコなどの小バクチだけ。典型的なダメ男で、善人ではないが、悪事も出来ない。主人公の浪人生・吉岡(本間優二)にとっては、嘲笑の対象でしかなかった。

半面、人にやさしく、誰も傷つけず、愛すべき男だった。19歳の吉岡が、自分が不遇であることから社会を憎み、他人への嫌がらせを繰り返すのとは対照的だった。若い吉岡は将来、他人を押し退けて社会で成功者になれるかも知れない。が、見る側は誰からも認められない人生を送る紺野に引き込まれる。

「あの映画の主人公は蟹江さんが演じた紺野でもあったんですよ」と、後に柳町監督から聞いた。ヒーローばかりが描かれる映画の世界で、紺野ほど魅力的なダメ男が浮き彫りにされた作品も珍しい。この作品は邦画史に残る名作と評価されているが、おそらく蟹江さんの存在抜きには成立しなかっただろう。

「『遠雷』(81年)は蟹江さんがいなかったら、成り立たなかった」と、はっきり口にしたのは根岸吉太郎監督だ。やはり名作の呼び声が高い同作で、蟹江さんの登場場面はそう多くない。主人公は宇都宮でトマト栽培をしている満夫(永島敏行)で、蟹江さんが扮したのは、満夫の友人・広次(ジョニー大倉)に女房を寝取られてしまうダメ亭主。やっぱり情けない男なのだが、どこにでもいそうな隣人でもある。ちょっとしか登場しない蟹江さんが、映像にリアリティーの息吹を吹き込んだ。

蟹江さんの唯一の主演映画『MAZE マゼ ~南風~』(2006年)の岡田主監督によると、蟹江さん本人は名脇役、名バイプレーヤーと呼ばれるのを酷く嫌がったという。役者には「良い役者」と「そうでない役者」の区別しかないのだろう。映画もドラマも団体戦であり、一人でも欠けたら成立しないのだから、本当は主役も脇役もない。世の中と一緒だ。

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