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「白馬の王子様」を待たない少女たち ~映画『アナと雪の女王』の挑戦

投資という行為には恐怖が伴う。

もし150億円という金額を任されたら、すべてを失う覚悟で、新しいことに投資できるだろうか。それとも小さな成功を、手堅く収めようとするだろうか。

映画『アナと雪の女王』で、ディズニーは前者を選び、大ヒットを生んだ。製作費150億円を投じて得た興行収入は、早くも10億7,000万ドル(約1,070億円)を超え、未だ公開中にもかかわらず、『トイ・ストーリー3』(2010年)が樹立したアニメ映画史上最高収の記録を更新している。

これほどの利回りは、手堅い投資では決して手に入らない。

それはディズニーが、自らの輝かしいアニメーション映画の伝統を見直して、一つの大胆な挑戦を行ったからこそ、得られた結果ではないだろうか?

ディズニーのクリエイターたちの冒険心は、本編が始まる前から伺えた。

映画館の照明が落ちて間もなく、『アナと雪の女王』とセットで上映される短編、『ミッキーのミニー救出大作戦』が始まった。往年の白黒アニメーションで、ミッキーマウスが初めてスクリーンに登場した1928年を彷彿させる映像を観て、私はてっきり、過去の作品のリバイバル上映だと思い込んだ。だが、ミッキーとライバルのピートが繰り広げる追いかけっこを眺めていると、驚いたことに、急にミッキーがスクリーンを破って、観客席の方に飛び出してきたのだ。

いや正確には、そのように見える映像処理が演出されていた。

スクリーンの外に出たミッキーはフルカラーのCGアニメーションで描かれ、スクリーンの中のピートは、白黒の手描きアニメーションのままである。以降キャラクターたちは、白黒の世界とフルカラーCGの世界を自在に行き来しながら、追いかけっこを続けたのだ。

後に知ったことだが、リバイバルに見えた前半の白黒アニメーションは、あえて古いビジュアルで制作された、新しい映像だった。つまり『ミッキーのミニー救出大作戦』は、手描きの白黒アニメーションとフルカラーのCGアニメーションの「合成」であり、その使い分けが脚本の必然性とマッチした、秀逸な短編映画だったのだ。

ディズニーはこの短編で、自社が誇る長いアニメーションの歴史を引用した上で、観客の目の前で、その伝統を更新してみせた。

過去の成功体験にすがるどころか、ディズニーはその財産をベースにして、つねに斬新な作品づくりに挑戦し続ける。本編『アナと雪の女王』の上映を前にして、ディズニーのクリエイターたちが、そんなメッセージを宣言したように思えてならなかった。

従来のディズニー作品との決別

果たして『アナと雪の女王』は、その声明に恥じない挑戦的な作品だった。

そこで行われたのは、近年のディズニー長編アニメーションにとって最も重要であり、従って無闇にいじることができないはずの、「ヒロイン像」の更新だった。

アンデルセンの童話『雪の女王』をベースにした『アナと雪の女王』は、雪や氷を操る不思議な力を持って生まれたアレンデール王国の女王・エルサと、その妹・アナの二人を主人公に据えている。それぞれが自らのアイデンティティと、そして互いとの関係に悩み戸惑いながら、やがて一人の女性として、そして姉妹として、強く成長していく姿を描く。

1937年の『白雪姫』に始まり、世界中の観客に計り知れない影響を与えてきたディズニーの長編アニメーションシリーズだが、とくに1989年の『リトル・マーメイド』以降顕著なのが、近代的な、自立したヒロインの描写である。

『リトル・マーメイド』の主人公アリエルは、人魚の王である父が抱く、人間界に対する一方的な不信に疑問を感じて育つ。父を慕う気持ちに戸惑いながらも、アリエルはやがて自らの意志で、人間界への道を切り開いていく。

『アナと雪の女王』も、自立する少女たちの物語である。

生まれ持った不思議な力で、周りの人を、そして妹を傷つけてしまうのを恐れて塞ぎ込んできたエルサは、映画の前半、自分の心を解き放つ決心を、主題歌「Let It Go」で高らかに歌い上げる。それは、彼女が雪の女王としての宿命と向き合うシーンでもあるが、それ以上に、一人の女性として、自らの心に芽生えた情熱を初めて肯定するシーンとして描かれている。

エルサは歌いながら、タイトに結わえていた長い髪をほどき、肌をまったく見せなかった服の代わりに、スリットの入ったドレスを堂々と着こなす。最後にカメラ目線で歌を終える彼女の表情は、自信に満ち溢れているのだ。

近代的なヒロイン像を継承する『アナと雪の女王』の脚本にはしかし、従来のディズニー作品との決別とも言える、一つの大きな変化が見られた。それはエルサとアナの物語が、「白馬の王子様」の登場に依存しないという点である。

物語の中盤、妹のアナは、エルサが誤って発した冷気をその心臓に受けてしまう。凍り始めた心臓は「真実の愛の行為」によって溶かされない限り、やがて凍結し、アナは命を落とすことが明らかになる。その「真実の愛の行為」とは、映画の序盤にアナに求愛したハンズ王子のキスに違いないと、その場の誰もが考え、一行は王子の元を目指す。

これまでのディズニー作品であれば、映画の最後でアナとハンスが結ばれ、王子のキスによってアナが無事救われる展開が予想できる。実際、「真実の愛の行為」が引き金でハッピー・エンディングを迎えるというのは、ディズニー長編アニメーションが長年の歴史を通して築いた一つのパターンである。

白雪姫は毒りんごを食べて永遠の眠りにつくが、最後に王子のキスによって奇跡的に目覚める。近代ヒロイン像を確立した『リトル・マーメイド』のアリエルでさえ、人間の姿を手に入れる代わりに、三日目の日没までに王子にキスされなければ、魔女の支配に下るという取引をする。

しかし『アナと雪の女王』でハッピー・エンディングをもたらしたのは、王子の登場ではなかった。アナの心臓を蝕む冷気を溶かす「真実の愛の行為」は、彼女がエルサに対して抱く真実の"姉妹愛"によって、自らが能動的にとった行動だったからだ。

どんなに自立したヒロインであっても、最後は男性のキスで救われるという往年のパターンを、ディズニーは『アナと雪の女王』であえて裏切った。いつもの展開を観客に一度は連想させながら、見事にその期待を覆す脚本からは、ディズニーのクリエイターたちの野心的な挑戦が見受けられる。150億円もの製作費を投資しながら、手堅い成功のパターンを潔く捨て去る様には、脱帽せざるを得ない。

すべてを救う「白馬の王子様」は、じっと待っていても決して現れない。だが少女たちは、自分たちの積極的な行動によって、ハッピー・エンディングを迎えることができる。そんなステートメントを、決して押し付けがましくなく、最高のエンターテインメントとして表現した『アナと雪の女王』は、ディズニーにとって大きなマイルストーンではないだろうか。

白雪姫のテーマソングは、「Some Day My Prince Will Come」、つまり、「いつか私の王子様がやってくる」だった。アリエルは、「Part of Your World」と、「いつかあなたの世界の一部に」なることを願った。だがエルサが歌い上げるのは「Let It Go」、つまり、「自分の心を解き放て」なのだ。

そんな『アナと雪の女王』に、昨今のアメリカが熱狂するのには合点がいく。

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