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特別読み物 森脇健児「人生ガマン比べ」その通りでした
あの先生に出会えてよかった ——私が今日、こうして生きているのは先生のおかげです

森脇健児 芸人
「人生ガマン比べ」その通りでした

うちは父親も兄弟も陸上選手でした。陸上一家に生まれ育ったので、自然に陸上を始めて、スポーツ推薦で洛南高校に入りました。洛南高校というと、今では陸上の名門として知られ、100m走で日本歴代2位の記録を出した桐生祥秀君のような選手も出てきていますが、僕が入学したのは強豪になり始めのころ。そして、洛南を全国大会の常連に育てた立て役者こそ、僕の恩師である陸上部顧問の中島道雄先生なんです。

当時の先生は30代半ば。丸刈りでいかつい風貌で、生徒の間でもとても怖がられていました。その先生がグラウンドに仁王立ちしてにらみをきかせる中、部員は毎日、ひたすら走って走って走り倒す。「えらいことになった。早く卒業したい」と悔やみました(笑)。

高校1年で出場した京都府大会の400m走では優勝できたけれど、そのうち自分の実力に限界を感じるようになりました。同じく陸上をやっている兄や弟にも勝てない。まして世間には、もっとすごい選手がゴロゴロしている。それで高校3年の春、松竹芸能のオーディションを受けたんです。陸上ではかなわんけど、人前でしゃべって笑かすことだけは誰にも負けないと思っていたからです。

幸いオーディションは順調に進み、残るは最終審査のみ。その日は福岡県で陸上部の合宿が始まる予定でした。それが1日ずれて、オーディションに参加できることになった。でも練習はある。そこで、意を決して、おそるおそる先生に「芸人になりたいので練習を休ませてください」と頼みました。半ばダメだろうと思っていましたが、予想外のことに先生は、あっさり「ええよ」と。学校でも漫談をしていたので、僕の芸人になりたいという思いに先生も薄々気づいていたのだと思います。「アカン」と言われたら諦めようと決めていました。だから、今の自分があるのは、先生の「ええよ」のおかげです。

芸人は、いいときもあれば悪いときもある。でも、仕事もなく、気持ちがめげそうなときこそ、思い出すのは先生が練習中に発していた言葉です。

「努力する者、夢語る。サボる人間、グチ語る」「人生ガマン比べ」「メッキは剥げる」—当時は意味がよくわからなかったけれど、年を重ねるごとにわかってきました。

司会番組の終了などを経て、「オレの20代はメッキだったんや」と気づき、「人生ガマン比べ」はまさにその通りだと実感しました。仕事のない苦しさなど、高校時代の練習に比べたらどうってことはない。先生の言葉や、高校時代のきつい部活動の経験が僕の支えとなり、それは今に至るまで変わらないのです。

昨年3月、先生は洛南高校を定年退職され、今は大阪高校陸上部で長距離のコーチをしています。芸の師匠である若井はやとさんがすでに亡くなっているので、厳しいことを言ってくれる先生は、僕にとってはとても大きな存在。今も年4~5回は先生に会いに行きます。そんなとき、先生が口にするのは「頑張っとるか」のひと言。でも、それだけで、47歳になった今でも気が引き締まるんです。

「週刊現代」2014年3月29日号より