『トロイアの真実』 シュリーマンは何を見つけたのか

レビュー:村上 浩

一冊の本は、人の一生を変えてしまうほどの力を持つことがある。8歳のときに父親からプレゼントされた『子どものための世界の歴史』は、ハインリッヒ・シュリーマンの人生をハリウッド映画よりも劇的なものに変えてしまうこととなる。幼いシュリーマンは、その本に描かれていたトロイアが炎上する挿絵の虜になり、いつかその場を訪れることを誓った。ホメロスの『イリアス』にも描かれるトロイア戦争は空想の産物であると父親にいくらいわれても、シュリーマンは聞く耳を持たず、その争いを"史実"として信じていたという。

ビジネスマンとして大成功したシュリーマンは、子どもの頃の夢を忘れることはなかった。40歳を超えたシュリーマンは蓄えた資金を携えトルコへと発掘に向かい、気の遠くなるような作業の末、ついに夢物語と思われたトロイアを発見したのである。ロマンに満ちた彼の生きざまを知ったフロイトは、「シュリーマンこそもっとも羨むべき人生を送った人間だ」と感嘆したという。そして、シュリーマンの人生がつづられた『古代への情熱』は、『子どものための世界の歴史』が彼の人生を変えたように、多くの若者の人生を変える力を持つ一冊となった。

しかし、人々に広く知られたこのシュリーマンの物語は、今ではその多くが事実に基づかないものであることが指摘されている。本書で参考文献としてあげられている『シュリーマン―黄金と偽りのトロイ』は、二段組み400頁強にわたる徹底的な検証によって、シュリーマンは幼年期にトロイアに興味など持っていなかったこと、ヒサルルック遺跡をトロイアであると最初に見きわめたのはイギリス人外交官カルヴァートであることなどを明らかにしている。

「幼少時代からの夢の実現」というストーリーが捏造であったとしても、発掘手法が考古学的に未熟な素人仕事だったとしても、シュリーマンが常軌を逸した熱量で知られざる遺跡の発掘という偉業を成し遂げたことは紛れもない事実。彼とその後継者デルプフェルトによる発掘、文化編年(諸文化の変遷を辿る年表)の作成は、現在のアナトリア考古学の基礎となっている。アナトリアとは現在のトルコほぼ全域を指す、紀元前2000年紀後半には「鉄と軽戦車」のヒッタイト帝国、4世紀からは10世紀以上にわたってビザンツ帝国、そしてそのビザンツ帝国を駆逐したオスマン帝国が支配していた地域である。