『屋根屋』著・村田喜代子---屋根屋を捕らえる
屋根屋』 著:村田喜代子
価格:1600円(税別)
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町を歩いていると、びっしり建物が詰まっている。人間界はいつ見ても窮屈だ。そんな眺めの中で唯一、カラーンとした場所がある。それが屋根だ。雨の国である日本の家は軒が出て、建物の面積に比して屋根は広い。そこだけゆったりした空間が連なっている。私は子どもの頃から屋根を眺めるのが好きだった。

屋根は人間の生活する場所ではない。しかしそんな「場所」でない「場所」が好きなのだ。屋根の上で暮らしてみたい。屋根の下でなくて、上である。登って居心地の良い屋根といえば、日本の寺社建築だろう。屋根が高く、広くて反りが深く軒へ流れ落ちている。あれは大きな空の舟だと思う。寺院の屋根は人間や動物、大勢の生きものを彼岸へ乗せて行く舟である。

それにひきかえ、雨の少ないヨーロッパのゴシック建築の大聖堂は、高く高く塔の形に天へ伸びるばかりで、庇のない屋根は狭い筒のフタのようだ。パリのノートルダム寺院へ行ったとき、天辺まで登って脇の鐘楼から屋根を見おろすと、鳩も滑りそうなほど狭かった。ゴシック聖堂の屋根には「場所」というものがないのだ。屋根の両端が断ち切れていて、あとはもう空へ飛ぶか、墜ちるかしかない。

義父が建築請負業をしていたので、大工や左官、瓦屋の職人さんたちが、昼の弁当の時間に屋根談義をするのを聞いたものだ。近所の家の屋根の形状を見れば、たちどころに、「あの家は雨が漏っとる」とか「もうすぐ漏る」とか、「こっちは心配ない」などと箸の先でさして言い合っていた。それを聞きながら私はいつか屋根の小説を書いてみたいと思ったものである。

もう二十数年も前のことだ。

しかし小説には題材だけあっても、舞台と登場人物が浮かばなければ、書き出すことはできない。長い間、私の頭の中に『屋根屋』という、漢字でたった三文字の風変わりな小説のタイトルが、宙ぶらりんで棲み着いていた。

ある年の夏のはじめ、我が家の天井に小さな雨漏りの音がし始めた。まだたいした漏りではなさそうだったが、瓦屋の職人さんが一人やって来た。大男だった。彼は二階の屋根に登って、カタリ、カタリ、と何だかかわらけに似た懐かしい音を響かせながら、修繕を始めた。

真夏の屋根は炎熱のため高温となる。屋根の上で酸欠が起きると死ぬこともある。少し時期が後になると危なかった。私は昼がくると屋根の彼に声をかけて降りて来てもらい、家の板張りの涼しい場所を提供した。職人さんの弁当は塩鮭と梅干くらいだ。私は三時にアイスクリームなどを出すのである。