読書人の雑誌『本』
『歴史家が見る現代世界』著・入江昭---ケネディ時代の日米関係
歴史家が見る現代世界』著:入江昭
定価:800円(税抜)
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最近、ボストンの海辺沿いにあるケネディ図書館で、一九六〇年代のケネディ一家と日米関係にかんするシンポジウムが開かれ、数百人の聴衆を集めていた。私も参加しながら、現代、そしてほぼ五十年前の日米関係、さらには世界の動きについていろいろ考えさせられた。

この図書館は、ジョン・ケネディ大統領のほかにも、司法長官を務めた弟のロバート、上院議員だったもう一人の弟エドワードなど、長らく米国の政界で活躍した一家の文書や写真などを集め、連邦政府の予算や民間の支持で運営されているのだが、ここを訪れる大部分の人たちにとって、一九六〇年代は遠い過去のことであろう。アメリカ人全体の平均年齢は四十歳以下なのである。

私自身は、一九五七年から一九六六年までハーヴァード大学に学生、それから若手の講師として在籍していたので、ケネディ大統領時代については鮮明な記憶がある。同大学出身のケネディ氏が四十三歳八ヵ月の若さで大統領になったときのキャンパスの熱狂振りも、三年足らずで暗殺されてしまったときの全学の悲嘆、悲壮な雰囲気もよく覚えている。

当時、駐日大使に任命されたハーヴァード大学のライシャワー教授は、日本と米国とは「パートナー」なのだ、とことあるごとに主張していた。日本の敗戦、米国による占領、そして安全保障条約の締結と、短期間で様変わりをした日米関係だったが、根本的に両国を結びつけるのは人間同士の結びつきであり、太平洋の両岸にあって、東と西の文明を継承する日本と米国とが友好、協力的な関係を作ることができれば、世界のためにも好ましいことだ、というのが彼の持論だった。

もちろん一九六〇年代の初頭には、両国の軍事的・経済的な実力には莫大な差があり、対等なパートナーシップからは程遠かったが、社会面、文化面で密接な関係を作り上げるのは可能なはずだ、という考えは、ケネディ大統領も弟の司法長官も持っていたようである。現在のキャロライン・ケネディ大使が抱くヴィジョンも同様であろう。

そのようなヴィジョンは重要であり、今日においても依然説得力がある。ただ、日米という二国だけに焦点をあわせるのは、当時も問題があったし、現代ではなおさら無理があることを指摘しておきたい。

敗戦のショックや自信喪失から立ち直っていなかった五十年前の日本にとって、米国の政府や識者から親善の手を差し伸べられたのは重要であり、私のようにサンフランシスコ講和条約発効(一九五二年)の翌年に留学生として訪米したものにとって、これ以上恵まれた環境はなかった。しかしまた同時に、日米親善という枠組みに慣れてしまうと、他の国が見えなくなり、世界全体との結びつきに関心が向けられなくなる、という問題があることは、当時も現在でも同じである。

このことは隣国、とりわけ中国や韓国との関係についていえることではないだろうか。例えば現在、日中関係が困難をきわめているのも、根本的にはこの点にあるような気がする。