慎泰俊「プロフェッショナルの作法」

津田大介【第2回】「メディアの世界で生き残っていくために、どういう闘い方やポジションの取り方を考えていますか?」

伝えることで世の中を動かす「ジャーナリスト」という仕事

2014年04月29日(火) 慎 泰俊
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⇒【第1回】はこちらからご覧ください。

慎: 津田さんは下積み時代にも音楽関係の本を出されていますよね。

津田: 僕の場合は音楽ライターとか音楽評論はほとんどやったことがないんです。というか、そもそもあんまり「評論」することに興味がないんです。それよりはビジネスの仕組みに興味があった。音楽は昔から好きだったんですが、その音楽を巡る環境というのが、1999年にNapsterが出て以降、アメリカを激震地としてものすごく変わっていきました。

その変化がもう目に見えているのに、レコード会社はバカなことばっかしてたから、「それはこう変わるんだからこうなるべきだ」というもどかしさがあって。自分が音楽が好きだったから義憤もあって、その思いを文章として書こうと思ったんです。

それまでは雑誌ライターだったので、個人の意見なんて書くことはなかったし、雑誌から求められてもいませんでした。だからブログを始めたわけですが、書いているうちに、自分の意見を表明することの楽しさを知ったんですね。ブログでいろいろ書いているうちに、それを単行本にしませんか?という依頼がきて、出したのが『だれが「音楽」を殺すのか?』という本です。この本が自分にとってのジャーナリストとしての「名刺」代わりになりました。

仕事が減って辛くも、次につながる種を蒔いた楽しい時期

慎: それからナタリーというサービスを作られたのが2006年ですよね。津田さん自身が下積みとおっしゃる実用ライターの時代、そのときから現在までに至るまでの15年くらいを今振り返ってみると、どの時代がいちばん大変でしたか?

津田: 今がいちばん大変ですよ(笑)。いや、でも、やっぱりその時期によって大変さが違うんですけど、お金的に辛かったという意味でいうと、やっぱり2005、2006年くらいですかね。

僕がいちばん雑誌ライターとして記事を書いていたのは2001、2002年くらいのことで、あの頃はインタビュー雑誌が15誌あって、そのうち11誌くらいで書いていたんです。だから、もう1年中ずっと何らかの原稿を書いているみたいな時期で、原稿料もけっこうもらっていたんですよ。

ただ、その頃からネットが常時接続になって、もう雑誌をみんな買わなくなって廃刊していって、「ああ、自分の職場がこうやってなくなっていくんだな」ということを目の当たりにしました。でも逆にそのときに、「新しいチャレンジをするなら今だ。チャレンジしないともうライターとして生き残れない」と思ったんですよね。

実はその頃いくつかの出版社から「うちで働かないか?」と声がかかっていたんです。悩みましたが、自分の名前で何かやりたいと思って結局その誘いには乗らなかったんですね。これが、自分のなかでは一つの転機だったんだろうな、と思います。それで結局、やってはみたものの、どんどん雑誌が売れなくなって、売れなくなるから自分の名前で商売しなければ、と思って単行本を書いたのが2003、2004年くらいの時期ですね。

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