津田大介【第1回】「『俺なんかとは頭の出来が違う人が世の中にはたくさんいる』と思える出会いが大事な体験です」
伝えることで世の中を動かす「ジャーナリスト」という仕事
津田大介氏と慎泰俊氏

慎: プロフェッショナルな方たちにその「仕事ぶり」についてお伺いするインタビュー、第3弾は津田大介さんです。津田さんは「メディア・アクティビスト」と呼ばれていますが、ご自身の仕事を一言で言うと何でしょうか?

津田: 何でしょうね。いきなり核心を突いた質問ですね(笑)。ちょっとずらして答えると、僕の中で精神的なジャーナリストの師匠というのは2人いて、それは田原総一朗さんと池上彰さんなんです。どちらも「伝える」ということにすごく自覚的な人だと思っていて、ここ数年彼らのやっていることを間近で見ることができていることが自分に大きな影響を与えていると思っています。

先日、田原さんとある番組で話をしたときに、「ジャーナリストとして田原さんにとって何がいちばん大事ですか?」と聞くと、「やっぱり世の中を変えることだ」とおっしゃっていたんですね。池上さんは、「伝えることで世の中を変えたいという欲求はありますか?」と聞くと「それはない」と。とにかく情報を伝えて、伝わった人たちが判断をすればいい、ということでした。この二人のスタンスは対照的ですね。

ただ、池上さんはおそらく客観的な事実を伝えることによって、メッセージを送っているんだろう、と僕は思ってるんですね。田原さんはそれをもっと演出的にやっている。だから両者は、アウトプットの仕方は違うけれど、どちらも根っこにあるものは同じだな、と思っています。僕もそういう両者の根源的なモチベーションに惹かれていると思います。

自分の文章が評価された喜びの原体験

慎: 伝えるということに惹かれるようになった理由についてお伺いしたいと思います。これは高校時代に新聞部に入られたところから始まるのでしょうか。もしくは、何かそれ以外にあったんでしょうか? 常にものを伝える仕事、そういう行為を高校時代からされていて、大学時代には選挙事務所のアルバイトなどもしておられますが、それもある意味伝える仕事ですよね。

津田: 小中学生時代、僕はクラスであんまり目立つ子供じゃなかったんです。実際、小中学校で何かで一番を取ったということは一度もなかった。勉強でいえばクラスで上から5番目とか、学年でいえば20番くらいの成績で、オール5を取るような子供ではなかった。そんなに悪くもないけど、すごくできるわけでもない---そんな子供だったんです。

そんなこんなで目立つことなく中学3年生まで生きてきたんですが、父親が物を書いていたということもあって、その頃一回父親に自分の作文を見てもらい「文章を書くんだったらこういうふうに書けばいいんだ」と教えてもらったんです。それまでは物を書くとか伝えるということにまったく情熱もなかったし、面白いとも思わなかったんですけど、「なるほど文章とはこう書けばいいのか」と、客観的に突き放して書くやり方を覚えたんです。

ちょうどその時期って真面目に新聞を読むようになって、社会問題にも興味を持つようになった時期でもあったんですね。そういうタイミングで自分で文章を書くときにも工夫をして作文を書いてみたら、その作文が学年中に配られるプリントに選ばれて掲載されたんです。学年のプリントとはいえ、自分の書いたものが配られて学年中の同級生に読まれたとき、電撃的に嬉しかったことを今でもはっきりと覚えてます。

津田: その中3の体験が下敷きになって「物を書くのは面白いな」と思うようになったんですが、そこから程なくして高校に入学します。僕は音楽系の部活に入ろうと 思ってたんですが、入学直後の部活のオリエンテーションで「このままだと誰も入ってくれなくて部活が潰れちゃうんです! お願いだから入って!」と女子の先輩から廊下で懇願されまして……。先輩がかわいかったのでついつい新聞部に入ってしまいました(笑)。それが運の尽きというか、その後の人生を変えてしまったような気がしますね。

でも、入ってみて自分でやり始めたら面白くて。物を伝える、自分の書いた文章が多くの人に読まれて、そのあと感想をもらえることが嬉しかった。それは原体験としてありますね。2年生になると新聞部の部長になりました。といっても、僕の代は僕ともう1人しかいなかったので部長と副部長しかいなかったんですが(笑)。その分僕の好きに新聞を作れたし、企画から執筆、校正記号などの編集作業や広告営業など全てこの時期に体験できたのはその後自分がメディアを作るうえでとても役に立つ経験になったと思います。

結局部活は新聞部だけでなく、6つぐらい掛け持ちしました。でも一番やりがいを感じていたのは新聞部でしたね。高校は都立北園高校という、全国でも屈指のリベラルな学校で、制服なし、校則も一切なしという自由な高校でした。大学と掛け持ちしてる先生や学会に入って研究してる先生も多かったんですよ。昔はあの網野善彦さんや丸谷才一さんが教員として教えてましたから。

だから、やたら授業も休講になるし、休講になったらみんな学校の外に出てボーリングしたり、ゲームセンターへ行ったり。僕は授業サボって友人と部室でファミコンやってました。大学生みたいな高校生活で本当に楽しかったですね。小中では目立たなかった僕が高校では生き生きと毎日を過ごせるようになったわけです。だから僕は「高校デビュー」なんですよ。

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