「講談社現代新書」50周年特別企画②
「創刊前夜の日々」渋谷裕久

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社内の反対を押し切って

――なぜ、「講談社〝現代〟新書」というシリーズ名になったんですか?

渋谷 僕らは「講談社新書」と名付けたかったんですよ。最初の原案からずっとそうでした。しかし、社内では、「まだどうなるかよくわからないシリーズに、会社を代表するかのような名前をつけるなんて……」という雰囲気があった。それで、「現代」を足したんです。ネーミングのことで社内で喧嘩をしてつぶされるよりはマシだ、とそこは妥協したわけですね。

――新書を創刊することについて、会社が必ずしも一丸となっていたわけではないんですね?

渋谷 一丸どころか、社内の反対は当初、とても強かったです。とくに営業サイドや重役たちは、講談社に教養新書のようなものができるわけがない、第一線で活躍している学者が講談社で書いてくれるはずがない、と考えていましたね。

 執筆候補者として編集部が考えたプランには、湯川秀樹・桑原武夫・貝塚茂樹・今西錦司・田中美知太郎など、いわゆる「京都学派」の重鎮に、中根千枝、都留重人、岡潔などなど当時のオピニオンリーダーとして脚光を浴びる、錚々たるメンバーが100人以上ずらりと並んでいました。

 しかし、はたしてそれは実現可能なのか? 営業サイドや重役たちがそう思ったのも無理はないかもしれません。実際、シリーズを立ち上げる企画は幾度もさしもどされました。

 それでも山本康雄さん(初代部長)は粘りに粘った。それでついに、「彼らが全員、執筆を引き受けてくれるなら」という条件付きのゴーサインになりました。