「集団的自衛権」の議論が混乱する原因はいったいどこにあるのか
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先週に続いて、今週も集団的自衛権について書く。新聞やマスコミは連日のように集団的自衛権について報じているが、そもそも「集団的自衛権とは何か」という定義について、肝心のポイントが国際常識からずれているのではないか。それが無用な混乱を招く一因になっているように思う。

「集団的自衛権」とは何を意味するのか

たとえば、毎日新聞は「集団的自衛権 『必要最小限で容認』 安保法制懇 行使に6要件」という4月16日付け一面左肩の記事中で「集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利」と紹介した。

こうした説明は毎日に限らず他紙も同様だ。この定義はどこから来たのかといえば、記事も触れているように、1981年の政府答弁書である。以下の通りだ。

〈 国際法上、国家は集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。

我が国が国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。 〉(94回国会衆議院稲葉誠一議員提出の質問主意書に対する答弁書)

ここの前段にある「日本政府による定義」をマスコミは最初から「正しいもの」と決めてかかって、それを前提に報じている。ところが、こういう定義が戦後の長い国会論議の中で最初から定式化されていたのかといえば、実はそうではない。

それどころか驚くべきことに、当初は政府も「いったい集団的自衛権とは何なのか」という解釈にさっぱり自信がなかったのだ。それは西村熊雄という当時の外務省条約局長が1949年の衆議院外務委員会での答弁で、次のように述べていることから明らかである。

〈 この集団的自衛権というものは国際法上認められるかどうかということは、今日国際法の学者の方々の間に非常に議論が多い点であり、私どもは実はその条文の解釈に全く自信をもっていない。 〉(「憲法第9条と集団的自衛権~国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る」35ページ。国立国会図書館政治議会課憲法室、鈴木尊紘、以下、政府答弁の出典は同じ)

49年といえば、日本が国連に加盟する前だ。集団的自衛権という概念は、これまでもコラムで書いてきたように、国連憲章第51条に根拠がある。

ところが太平洋戦争に負けた日本は、そもそも45年の国連創設にかかわっていない。国連ができてから、つまり第51条を含めて国連憲章が書かれた後、日本は憲章の条文をすべて受け入れ、ようやく56年に加盟が認められた。

そういう事情もあって、第51条に定められた「集団的自衛権」が何を意味するのか、国連加盟前の当時は外務省の条約局長ですらよく分かっていなかったのだ。

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