野球
二宮清純「レジェンド杉下茂、“魔球”の正体」

落差は“ナイアガラの滝”

キャンプのブルペンでは立ったまま若手のピッチングに鋭く目を光らせ、アドバイスを送っていた。

 88歳の杉下茂さんは日本で最初に「魔球」を投げたピッチャーとして知られています。現在もお元気で、春季キャンプでは古巣・中日の臨時投手コーチを務めるほどです。

「毎年、沖縄でお姿を拝見しますが、お元気ですね」と挨拶すると、「年寄りにとって2月は寒い東京にいるより、暖かい沖縄の方がいいんだよ」と笑っていました。

 杉下さんの魔球、すなわちフォークボールがいかにすごかったかについては、生前、千葉茂さんから聞いた話を紹介するだけで十分でしょう。

「杉下のフォークを初めて見た時は面食らったなんてもんじゃない。あれは“黒船来る”という感じだったな。自分の人生観が変わってしまったように思いましたよ。
 まぁ、落差はゆうに今のフォークボール投手の3倍はあったやろうね。今のピッチャーが華厳の滝なら、杉下のはナイアガラの滝ですよ。(球速)150キロのまま顔の高さにきて、そこからストンと低めいっぱいに決まる。実際、試合では数球しか投げてこなかったんですが、あれを一度、目にしたらバッターは恐怖心が先に立ってしまい、もう勝負にならんかったね」

 1954年、杉下さんは32勝12敗、防御率1.39の好成績で中日初の日本一の立役者となります。日本シリーズで中西太、大下弘、豊田泰光らを擁する強打の西鉄相手に3勝をあげました。

 以下は豊田さんの証言です。
「初戦の第1打席、杉下さんは1球だけフォークを投げてきた。僕が初めて見たそのフォークは右に左に横揺れしながらヒザ元までストンと落ちた。ボール球を振らせるようなケチなフォークじゃなく、落差で勝負する正真正銘のフォーク。
 結局、シリーズ7戦を通じて杉下さんが僕に対して投げたフォークは、この1球だけ。でも、最後まで、このフォークが気になって、自分のバッティングができなかった。つまり、杉下さんは心の中に魔球を投げて込んできたというわけですよ」

 それに対する杉下さんの回答はこうでした。
「あれはね、“こういうボールを放ったら、キミは金輪際打てっこないよ”ということを教えるために投げたんです」