第75回 正力松太郎(その一)警察官僚にしてプロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父---

2014年04月26日(土) 福田 和也

「片端からひっ捕らえるんだ、それだけでいい」

大正三年六月。
正力は、警視に任官し、日本橋堀留署長に任じられた。
問屋街や、蛎殻町の相場屋、人形町の盛り場を抱える、殷賑な地域である。
「成金」の代表格として、有名な鈴久こと、相場師の鈴木久五郎などは、客をもてなすのに、丸裸の芸者に給仕をさせた、という伝説が残っている。

富商が軒を連ねる街は治安も悪く、詐欺恐喝が横行していたが、被害者は後難を怖れて、泣き寝入りするしかなかった。
正力は憤った。

「悪党に手がでない、そんな事があるか」

厄介なのは、刑事たちが、悪党と結託している事だった。
刑事たちは、彼らから小遣いを貰い、情報を流し、饗応を受けていたのである。
正力は、刑事たちを集めて訓示をした。

「今までの事は、水に流そう。私も忘れるし、君たちも忘れてくれ」

そうして、刑事たちに云った。

「今後、諸君が、身命をかけて任務に精励することを、私は信じている」

大正七年七月二十二日。
富山県下新川郡魚津町の主婦たちが、井戸端会議を開いた。
不漁の上、米価が騰貴している・・・・・・。明日は、米の積み出しは、止めて貰いたい・・・・・・。

大阪毎日と大阪朝日が、この騒動を報じたため、たちまち一道三府三十二県にひろがった。

正力松太郎(1885~1969)警察官辞職ののち、読売新聞社長を務めた一方、戦後に、A級戦犯として巣鴨プリズンに収容されもした

一方、東京の日比谷公園では、米価問題市民大会が開催されようとしていた。
主催者も責任者もいない、無届集会だった。
警視庁は各署から五百人の警官を動員したが、手がつけられない。

「日比谷は宮城前だ。血を流してはならぬ。全員帯剣をぬかれないように、縛れ!」

そして、つけ加えた。

「壇上で扇動している奴は、片端からひっ捕らえるんだ、それだけでいい」

そう云い放った後に、壇上に躍り上がった。

「抵抗しないものに、警察は手をださぬ!」

暴動は、止まなかった。
日本橋久松署から、米穀取引所が襲撃を受けている、という報告が届いた。
正力が夜八時、現場にかけつけると、群衆は取引所を包囲して投石している。

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