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ベストセラー伊集院静『許す力』に学ぶ 有名人がいまだから明かす「私が許せなかった人へ」【第1回】瞳みのる(ザ・タイガース)から沢田研二へ

長い人生のなかで、誰しもが許せない人に出会う。相手にも立場や都合があると、頭では理解できる。しかし心が納得しない。人はそんなとき、どうすべきか。著名人が、それぞれの「許す力」を語った。

瞳みのる(ザ・タイガース)から沢田研二へ
僕を捨てたアイツを40年間、憎み続けた

ベストセラー『大人の流儀』シリーズの第4弾『許す力』。発売3週間で早くも17万部に

10年後に会おう。そのときお前らは路頭に迷っているよ—。

'71年1月24日、ザ・タイガースが解散した日、僕はそう捨てゼリフを残しました。それほど、沢田研二を始めとしたメンバーの行いは、人の道を外れるものだと思ったんです。

彼らは僕の全く知らないところで、事務所と結託していました。解散する前から、辞めた後の活動を決めていたんです。そしてメンバーの誰ひとりとして、そのことを僕に話してはくれませんでした。

僕にとってタイガースは大切な存在だった。「大人たち」の商売道具として、勝手な売り出し方をされるのは我慢ならなかった。そして学生時代から一緒にやってきたメンバーにとっても、それは同じだと思っていた。だからこそ僕は、いとも簡単に見切りをつけ、事務所の言いなりになる彼らを許せなかった。なかでも沢田は、最も従順に事務所に従っているように映り、理解できなかった。

それ以来、メンバーとの交流は完全になくなりました。僕は解散後、芸能界から引退し、京都の実家に戻って勉強をやり直し、慶応大学の中国文学科を卒業した。その後、慶応高校の教師になりました。

許すという行為は、自分の考えを曲げること、軟弱なことだと思っていた。だから「死んでも許さない」と固く誓っていました。'81年に「同窓会」と銘打って、タイガースのメンバーが集ったときも、僕は参加しなかった。

それほど強固だった気持ちが変化したのは、実に解散から40年近く過ぎた'08年です。その年の9月、沢田・岸部一徳・森本太郎の3人が、NHKの『SONGS』という音楽番組で『ロング・グッバイ』という曲を披露した。沢田と一徳が作詞し、森本が作曲したものです。その曲には、もう一度僕に会いたいというメッセージが込められていました。40年間、こんなにも僕を気にかけてくれていたんだと知り、心が揺さぶられた。

さらに、ちょうど同じ時期に、かつてのマネージャーがわざわざ僕の学校まで謝罪をしにきた。彼は「もう一度やらないか」と語り、「友達だった君たちの仲をバラバラにしてしまったのは会社の責任であり、僕の責任でもある」と頭を下げた。そのとき初めて、彼らも不本意だったのだとわかりました。