小保方晴子氏を「犠牲者」にした独立行政法人・理研の組織的欠陥

2014年04月05日(土) 井上 久男
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さらに、この「STAP細胞」について、理研が1年がかりで再現していくという。これも馬鹿げていると思う。論文の実験段階のデータなどは正確には再現はできないと考えられている。

単純に考えても、材料や機材や環境条件などを100%再現して同じ実験をすることは不可能であり、ネイチャー誌自身が「がん研究に関する論文の実験の89%が再現不可能」などとする記事を掲載しているのだ。

最初の実験で見つかったデータや新しい発見をベースに、様々な条件を加味して研究と実験を重ねて、そのデータや発見に普遍的な理論があるのか否かを追求していくことの方が重要なのではないか。

「身内の論理」「学会の権威」

この「小保方問題」からは少しそれるかもしれないが、最後に査読論文制度の課題にも少し触れておく。

査読論文とは、レフリーと呼ばれる査読者がその中身を判定するものだが、その判定者は覆面ながら、同じ学会の学者であるケースが大半だ。ある意味で「身内」なのである。

たとえば、経済学系の査読論文で査読を通過しようと思えば、「社会学系の論文の引用はするな」といった指導が行われるケースもある。その理由は、経済学者である査読者が社会学系の論文を知らないこともあるからだ。

馬鹿げた指導のようにも見えるが、査読を通そうと思えば、「身内の理論」が優先され、その「身内の理論」の中で処世術にたけた人物が論文に「合格点」が与えられて研究者の職を得て、学会の重鎮となっていくシステムである。

いくら着眼点が優れていようが、ユニークな研究手法であろうが、「身内の論理」にはまってなければ、評価は得にくい。はっきり言ってしまえば、大した研究もしていないのに、学会の権威に気に入られれば、学会にすがって生き延びていけるのである。

だから本当に優れた研究者の中には、査読論文を辞めて、学会に投稿前に論文をホームページなどにさらして、学会以外の外部専門家の評価を得るべきとの声も出始めている。最先端のライフサイエンスでも、バイオやナノテクや様々な研究や学問が融合しているやに聞く。狭い学会内の判断だけで適切かつ正当な判断ができているのだろうかと思う。

この「小保方問題」の根底にある本質的な問題は何か。「科学技術立国」を目指す国だからこそ、政治も学者もメディアも真剣に考える必要がある。

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